ラバウル迎撃戦の激化

 その後18年12月には南東方面の零戦隊は90機に回復していた。
 しかし12月14日に敵がニューブリテン島南西岸のマーカス岬に上陸した後、17日以降はラバウルへの大空襲が開始され、さらに25日にはニューブリテン島北西岸のツブルに敵が上陸し零戦隊の負担は激増した。そのために18日に端鶴派遣隊として基地零戦隊とともにラバウル防空や敵上陸部隊の攻撃に活躍した。
 しかしここで零戦隊が活躍した一方大量の損失があったという。そして1月、2月になるとさらに激化し結局日本はラバウルを手放すことになった。

 

 

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