溶けたアザラシの骨
バルト海のアザラシにはさまざまな障害が起きていた。
ある研究者がアザラシの解剖をすると、アザラシの体の中はひどく荒れていたという。体の中には至るところに腫瘍が発生し、肝臓や腎臓にも障害が出ていた。すい臓に起きている変化は、糖尿病の発生をあらわしており、アザラシによっては盲腸にも異常が発生しているものもあった。つまり、腸に穴があいていたということだ。体の抵抗力が低下し、寄生中の発生を抑え切れなくなって腸に穴があくまで寄生虫が増殖した結果といえる。この原因は、免疫を作り出す細胞の多くが縮小や死滅しているためだった。体の抵抗力が低下していたことは明確だった。そのうえ、アザラシにホルモン異常がみられており、アザラシの体はPCBによって種の存続をも脅かしていることが分かった。
北欧のアザラシの研究所にある資料保存庫には剥製(はくせい)やホルマリン漬けの標本のほか、骨格標本や卵なども専用の棚に年代ごとに保存されている。ここでは、写真や絵では分析できないような微妙な変化を、いつでも過去にさかのぼって調べることができるようになっている。
1914年のアザラシの頭蓋骨は薄いあめ色をしていて、鋭い牙もある、歯もしっかりしていて顎(あご)も発達している申し分のない健康状態のものだった。この状態が本来のアザラシの姿と言える。しかし、1984年の頭蓋骨は1914年のものと比べると少し白っぽい色をしている。そして、鋭い牙はなく歯もほとんど抜け落ちていていて、顎の骨はボロボロになっている。これはアザラシの骨が溶けたと考えられる。歯茎についた少しの傷が原因だ。抵抗力が弱いため傷口が化膿してしまい、顎の骨を溶かすほど広がったとされている。アザラシのこの状態では、ろくに魚を食べることもできなかったと思われる。
この保存庫に保存してある標本によると、頭蓋骨の変化は1960年代前後から始まっている。現在では1,2歳と言った若いアザラシを除いて、すべてにこの異常が見られている。この異常が現れ始めた1960年前後は、ちょうどバルト海周辺でPCBの使用が盛んになった時期と一致する。
この2つの頭蓋骨に現れた違いは、汚染の恐ろしさを示す証拠でもある。PCBによってからだの抵抗力を奪われ、バルト海のアザラシたちは生きる力や、次の世代を生み出す能力さえも失った。スウェーデンの海洋研究所の調査では、北海で大量死したアザラシにも同じような異常が見られた。この悲劇は海が汚染されている限り続く。そして、やがてアザラシが絶滅するのは確実に迫っている。