西ドイツ、ホルシュタイン地方の悲劇



 ここでは、実際に被害のあったところの実例を紹介します。

 アザラシの大量死で一番大きな被害が出たのは、西ドイツのシュレスビック・ホルシュタイン州の海岸で、この1年で6000頭近いアザラシの死体が流れ着いた場所である。

 デンマークとの国境に近く、ユトランド半島の根本あたりに位置する。この地方は地名から想像できるように、代表的な乳牛である[ホルスタイン種]の原産地である。農業の歴史は古く、現在ではホルシュタイン農業団を組織して、北ヨーロッパ全域に穀物や魚介類の輸出をはじめている。農業と漁業が生活の主体であるが、西ドイツは海岸線が少ないため観光地としての開発も進められていた。この地域は北海の中でも特にアザラシの生息数が多く、アザラシの生態観測は夏の観光の呼び物になっていた。アザラシが繁殖期を迎えると、アザラシは集団となって周辺の砂浜に上陸する。生まれたばかりのかわいらしいアザラシが、ちょこまかと歩き回る様子や、大型のアザラシがのんびりと何十頭も横に並んでいる様子を船の上から見学できることが評判で、海外からの観光客も多かった。

 ところが、1988年の夏は最悪だった。この地域でアザラシの死体が見られるようになったのは、5月に入ってからのことである。ヨーロッパでは早朝や夕暮れ時に海岸線の砂浜を散歩する人がよくいる。こうした散歩の途中に、打ち上げられたアザラシの死体が発見されるようになった。ユトアイランド半島の反対側でアザラシの大量死が始まったのは4月の半ばだったので遅れること約1ヶ月で魔の手は半島を一周したことになる。5月の間は、アザラシの被害は注目するべきものではなく、1日に1頭か2頭の死体が浜に打ち上げられる程度だった。

 6月になると様子は一変した。そのころからゼニガタアザラシは繁殖期を迎える。沿岸から離れた場所で生活していたアザラシたちは集団を作り、陸の近くに生活の場を変える。その集団を作ったアザラシたちの中で、爆発的に謎の病気が広がっていったのである。流れ着く死体の数は一気に増え1日に10〜20頭にものぼった。夏の観光シーズンを前に、地元の人々の間で大混乱が起き始めた。アザラシの死体が流れ着くような海に観光客を呼ぶことはできない。住民は総出でアザラシの死体の収容にあたることになった。

 8月には、流れ着く死体が毎日100頭を超える異常な状態となった。気温の高い時期だけに死体の腐食はひどく、鼻をつく異様な匂いが周囲に漂い、死体の収容作業は難航した。

 こうした惨事を前にしても、観光客は短い夏を楽しもうとこの海岸にやってきた。人手は例年より少ないが、日焼けにいそしむ観光客のかたわらで、波が打ち寄せるたびに、次々とアザラシの死体が流れ着くという異様な光景になった。