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超現代語訳 徒然草
第11段
神無月の頃、栗栖野を過ぎたとある山中に訪問した時のこと、延々と続く苔生(む)した細道を踏み分けてゆくと、物寂しくしみじみと住まう庵があった。筧(かけい)は木の葉に埋もれようとしており、その流れるしずく以外に訪れる音もない。閼伽棚(あかだな)に菊や紅葉が手折られ飾ってある様子から、そうはいってもやはり人が住んでいることがわかる。 このようひっそりと住むこともあるのだな、としみじみと物思いにふけりながら見ると、向こうの庭に大きな柑子(こうじ)の木があった。枝もしなるくらいに立派な実がなっていたのだが、その周りは、これまた立派な囲いで覆われている。せっかくの気分も冷めてしまい「この木さえなかったら言うことはないのだが」と思ったものだ。 |