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自然界においても家畜などと同じように、原種の中に有用であれ、 不要であれ何らかの変化(変異)は起こる。 そして、それらの変種(変異体)は、原種とあるいは別の種や、環境との間に起こる生存闘争の中で、様々な条件の下でどちらが生き残るにふさわしいかという、人為的でない自然による選択を受ける事になる。(自然選択と、最適者生存)これらの過程の中で、変異の多くは淘汰されてしまうが、もし、この選択によってその変異体が、生き残ることの切符を手にするならば、その変異体は新たな種となって、様々な変異や時間と共に進化していくかもしれない。しかし、その個体にとっては”新種になった”ことは次の世代に自分の生きた痕跡を伝えるチャンスを得るために生き続けた、ただの結果である。 |
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再生産(親は、姿形のよく似た子孫を再生産する) ”種”とは何かということに対してすべての場合に当てはまる答えを見出した人はだれもいないし、またダーウィンの種はすべて緩慢な変化の産物であるという考えが正しければ暫定的に分けられる物や、形成途中の種の実例も存在するに違いない。それでも、種というものが自然界に存在する明確な単位であることに変わりはない。生物が、いろいろな種に分類されるのなら、それら種が進化するということよりも、なぜ何世代にもわたって同じ種が存続しているのか、どのようにして自分と同じ姿形を子孫につたえるのか、という疑問点が出てくる。ダーウィンを悩ませたこの問題を、(現在でこそ、DNA(遺伝子)の存在や、メンデルの遺伝の法則によって多くの人が知るところとなっているが、)当時ダーウィンは、遺伝形質がしばしば混ざり合う、つまり、−−−子が両親の中間型つまり”混血”になる−−−事には気付いていたが、これには例外も多いことも知っていた。また、ダーウィ ンは生物のすべての部分は微少粒子(ジェミュール)を一生を通じて分泌しつづけ、その粒子は体内を循環して、生殖器官に蓄積し、この粒子が度重なる使用で発達した部位や器官、逆にまったく使用されずに弱った部位や器官など一生をとうして獲得した形質を次世代に伝えると信じていた。しかし、実際にはこのような微粒子は存在せず、しかもその頃、1866年に、グレゴール・メンデルがエンドウマメを使った大規模な交配実験に基づいて、ダーウィンには解けなかった難問を説明する理論を立てていたが、残念なことに、ダーウィンをはじめとして、当時の科学者たちはメンデルの実験の意義に気付くことが出来ず、メンデルもダーウィンもこの世を去った後の1900年の「メンデルの再発見」まで彼の理論は眠っていたのである。 ここではメンデルの法則について詳しくは書かないが、再発見の後、遺伝学における研究の大半が、メンデルの用いた原理と、方法を基礎としていることと、メンデルの大きな貢献は、次世代に形質を伝えるものには、『優性』・『劣性』の二つの因子があるという着想であった。(ここでの優勢・劣性とは遺伝子の強さであって、優性因子のが、より優れた形質を遺伝させるという意味ではない。) |
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変種: そのような変種は、人間の手が離れたところから、種を維持する事が出来ずに、それらは、祖先種(原種)によく似た形質を再び手にして(先祖がえり)その姿を変えて生き残るか、あるいは、すぐに自然界によって淘汰されその姿を消してしまうだろう。 |
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生存闘争は、あらゆる生物が高率で増加する傾向を持つ事によって起きる不可避的な結果である。生物は、マルサスの論文『人口論』の中にもあるように、その本来の寿命の中で多数の種子あるいは、卵を生じるもので、その個体数を”2,4,8,16,32・・・”のように増加させる傾向にあるが、そのすべてが生きるのに必要な食料は、”1,2,3,4,5,・・・”のようにしか増加しない傾向にある。 こうしてある生物の個体数が、増加していくと、やがてどんな地域でもその個体数が多くなりすぎ、個体数を維持しきれなくなる。こうして、生き延びられる数を超えた個体が生まれると必ずや生存闘争が生じることになり、生き残りをかけて、同じ種の個体どうしや異なる種の個体の間、あるいは、自然界での生息条件や環境そのものを相手に争わなければならないことになる。 |
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過剰生殖(親の持つ生殖能力は大抵、子の実数をはるかに上回るのが常である。): 何故、自然界の生物の多くは実際に生き残る数よりはるかに多い卵や、種子を残すのか。それはその種のある時期に起きるであろう大量の死を埋め合わせるためで、多くの種の”もっとも死ぬ可能性の高い時期”その大部分は、幼い時期に集中する。つまり、ある動物がその仔や卵を守ることが出来るのであれば、生まれてくる仔の数は少なくてもその種の個体数を維持することが出来るが、もし死んでしまう仔や卵が多い場合は、生まれてくる数が少ないとその種は個体数を維持できずに絶滅してしまうことになる。自然界の生物は多くの種子や卵を残す場合が多いが、特にヒトや類人猿などは一度の出産で一個体、多くても数個体程度で、繁殖力は 低いが、親が子が成長するまで面倒を見るので個体数を維持できずに絶滅してしまうような状況にはなりにくい。 実際に自然界での環境条件や、生存闘争の末に生き残ることが出来る個体数や、種の数は限られている。そんな状態で、生涯で1個体しか子孫を残さないとか、今の環境で生きられるぎりぎりの個体数になるぐらいの子孫しか産まないなんて事をしている種がいたとしたらそんな種はあっという間に生存闘争に破れ、消えていってしまうだろう。 |
| すべての生物は、ほかの生物と相互関係を持ち、また自然界における生育条件とも相互関係を持っている生きている。この相互関係はきわめて複雑でしかも一分の隙もないほどに密接である。人間にとって家畜化のように有用な変異が確かに起こっているのであればそれぞれの自然界の生物についても、幾世代も経つうちに生存闘争において有利になる何らかの変異が起こってもおかしくはないと考えられなくはないか。もしそうした変異が起こるとすれば、生き残れる数をはるかに上回る個体が生まれる中で、どんな個体がもっとも生き残る可能性が高く、子孫を残す機会に恵まれるかというとほかの個体よりも変異の結果少しでも優れた、有利な点を持っている個体である。しかしその逆に、少しでも有害な変異は生存闘争に破れ容赦なく消えていく事を余儀なくされることになるだろう。この様に、差異や、変異のうち、都合のよいものが生き残り、有害なものが駆逐されるという事を、<自然選択>あるいは<最適者生存>という。 |