乱歩の処女作について


乱歩の処女作は「二銭銅貨」であったが、彼は21歳のころ,早稲田大学在学中に「火縄銃」という作品を書いている。

この作品はまだ乱歩独特の奔放な話術は見られないし、習作の域を出ないが、ポー(エドガー・アラン・ポー;周知のように,江戸川乱歩はこの名をもじってつけられた。)などの流れを汲む正統派推理小説で,トリック重視の姿勢が見られることが興味深い。

ところで,実は2作目の作品とされている「一枚の切符」のほうが「二銭銅貨」よりも1週間早く書き上げられている。

前者は,イギリスなどで受け入れられてきた論理的な謎解き中心の作品で、一方後者は篇中の探偵が論理を持って謎を解決するというよりも、小説自体にトリックが仕掛けられているようなものであった。

しかし,なぜ彼は跡に脱稿した「二銭銅貨」を処女作として出版したのだろうか?

おそらく彼は,直感的にしろ,純粋な謎解きによる推理小説は日本人には受けないと言う事に気付いていたのではないだろうか。

日本人は,智よりも人情,論理よりも怪奇趣味,謎解きよりもその演出を好む傾向にある。横溝正史松本清張もその延長上に位置している。

乱歩がそう言う傾向にある作品を処女作に選んだことが,それからの日本における推理小説の方向性に影響を与えたのではないかと思う。

事実、「二銭銅貨」は受けが良かったが、その3ヶ月後に発表された「一枚の切符」はいま一つ反響がなかった。

それから乱歩は小説をよりショーのようなものにする傾向を強めていくことになった。