- 日本の銀行券(貨幣)
- 券としての特徴
1999年現在日本には1000円、5000円、10000円の3券種が流通しているが、これは、世界各国から見れば券種の少ないことで大変珍しい。
<各国の券種の数>
- 韓国…3
- イタリア…4
- スリランカ…5
- マレーシア…6
- グアラマラ…7
また、2の単位のお札がないということも珍しい。
<各国のお札の額>
- アメリカ…20ドル
- フランス…20フラン・200フラン
- イギリス…20ポンド
さらに、最低額面金額が1000円という高額であることも珍しい。
<各国の最低額面金額>
- イギリス…1ポンド
- アメリカ…1ドル
- アルゼンチン…1アウストラル
日本銀行券の用紙は、材料に日本特産のみつまたやマニラ麻や木綿などを用いており、用紙の地肌の色は黄色身を帯びている。用紙には、かなり精巧な白黒透かしが用いられている。
- 現在の日本の銀行券の肖像に選ばれている方々
- 現行千円券…夏目漱石
裏面には特別天然記念物であるタンチョウの雌雄の絵が印刷されている。
夏目漱石とは・・・
明治期の英文学者で小説家(1876〜1916)。東京大学卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第5高等学校教授を務め、明治33年にイギリスに留学、帰国後第1高等学校、東京大学講師となり、その傍ら小説を執筆した。
そのときに発表した主な小説が、
「我輩は猫である」「倫敦塔」「坊ちゃん」「草枕」
であった。
1907年に教職を辞めた後朝日新聞社に入社して作家生活に入り、
「虞美人草」「三四郎」「門」「明暗」
など多くの作品を発表。日本を代表する作家の地位を確立した。
- 現行五千円券…新渡戸稲造
裏面には、本栖湖から見た富士山が印刷されている
新渡戸稲造とは・・・
明治、大正、昭和にかけて活躍した教育者(1862〜1933)。札幌農学校卒業後、母校の助教授に就任し、1884年、ドイツのジョン・ホプキンズ大学へ入るため留学。ボン、ベルリン、ハレーの各大学で農政学、農業経済学を学ぶ。帰国後、東京女子大学学長などを歴任した。
第2次世界大戦前には国際連盟事務次長としても活躍し、その生涯を世界平和のための貢献にささげた人でもある。
主な著作には、
「農業本論」「武士道」
などがあり世界的にも知られているほか、第2次世界大戦勃発防止のためアメリカ各地を巡回して平和維持のために演説を行ったという話が有名である。
彼は常にやや右に首を傾ける癖があり、この写真も頬に手を当てて顔を傾けていた。しかし、それは彫刻のときに補正され、まっすぐな新渡戸稲造が描かれている。
確かに、首元がどことなく不自然に見える気がする。
新渡戸稲造は「太平洋の掛け橋」ということで、太平洋を挟んでアジアとアメリカ大陸を描いた地図を書いている。北方領土、沖縄など一種のシークレットマークなども組み込まれている。
- 現行一万円券…福沢諭吉
裏面には日本の国鳥であるキジの雌雄が印刷されている。
福沢諭吉とは・・・
明治時代の有名な啓蒙思想家で、慶応義塾の創始者(1835〜1901)。大分中津藩生まれ。
日本は1858年国を開いて西洋諸国の進んだ文明を知った。心ある人々は、いかにして日本の文明をそれに追いつかせるか、どうやって国の独立を守るのかに苦労した。その指導者の中で、福沢諭吉は特に近代精神の立場に立った者としての第一人者であった。
幕府遣外使節の随員として欧米各国を視察、文化にも触れ、明治初期の啓蒙思想家として言論・著作活動を繰り広げた。
出版された主な著作として、
「西洋事情」「学問のすすめ」「文明論の概略」
が挙げられる。
近代的な西洋の文明を一般大衆に教育するため、慶応義塾を創設した。
一ミリ間隔の中に10本以上の細かい画線を彫刻したヘアーラインは、偽造防止にも一役買っている。
- 一昔前の日本のお札
日本のお札の肖像に戦前に3回、戦後4回の合計7回登場したのが聖徳太子である。特に君主制でもない日本において、紙幣に国王が描かれるなどの一貫性がないのに、なぜ多数のお札に採用されたのか。
その理由として、次の3つが挙げられる。
- 「17条憲法」を制定し、その中で、「和を持って貴しとなす」と述べた平和愛好者であるから
- 遣唐使を派遣して大陸文化の吸収に努めた
- 仏教の保護・振興を図った
などを行い多くの人々の人気と敬愛を集めてきたからということも挙げられる。
- 現代のお札の肖像は、史実考証の点で確かな資料に基づいて描かれる必要がある。聖徳太子は、飛鳥時代に来日した百済の阿佐太子の作とされる宮内庁所蔵の御物「聖徳太子・ニ王子像」というモデルがあったから
- 太平洋戦争後、GHQ(連合軍総司令部)から聖徳太子の肖像が認められたから
昭和21年GHQは、「明治20年に政府が決定したお札の肖像の候補7人(日本武尊・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・坂上田村麻呂・菅原道真)のうち、聖徳太子以外の6人は軍国的色彩がある」といったのだ。
紙幣に描かれる人というのはその国において顔となる人がえらばれている。つまり、そこに描かれる紙幣を通して、その国の文化・思想・技術面などいろいろなことを読み取ることができるとも言えるのだ。よって、お札はただのお金というだけではなく、その国の文化の一つでもあると思う。
しかし、福沢諭吉、ここには紹介してないが伊藤博文などは歴史的背景によりアジア諸国の一部では人気がない。
福沢諭吉は「脱亜入欧論」を唱え、アジアの古い考え(男を敬い女を差別する・家長意外に発言権はないなど)を捨てて、ヨーロッパなどの新しい考えを取り入れろという本を出版したが、太平洋戦争時にはこれを用いて戦争に荷担することになってしまった。また、当時の日本政府は理論をすりかえて大東亜共栄圏という誤った思想を利用してしまい、結果としてアジア諸国を植民地化するということに利用されてしまったことから、アジアの一部からはいい目で見られていない。
伊藤博文は大正時代にアジアを植民地化(1910年の日韓併合)しようと考えた人なので、こちらも一部アジアからはいい目で見られていない
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