日本将棋の移り変わり

■平安時代 豆知識
(1)日本に伝わったのは、平安時代!

遣唐使が日本に持ち帰ったといわれています。公家たちに室内競技として親しまれ、一般には普及しませんでした。この時代のルールでは、相手から取った駒は使えませんでした。

日本最古の将棋とは?
 日本で最古といわれている将棋の駒は、興福寺から出土したものです。形は現在のものと似ていて、うえが少し尖っています。駒の材質はヒノキとされています。出土した駒は、王将3枚、金将4枚、銀賞1枚、桂馬1枚、歩兵6枚、不明1枚、合計16枚でした。もっとも大きいものは、タテ33cm、幅24cm、厚さ5cmでした。
 日本の将棋を紹介した最古の文献は、「二中歴」という書物です。11世紀末から12世紀前半に作られたといわれています。「掌中歴」と「懐中歴」が合体したものです。
「名人」って、なに?
 江戸時代から続く権威ある称号。棋士たちの夢。初代は大橋宗桂。はじめは世襲制(家元制)。明治になって、推薦制になる。昭和になってからは、実力制の名人位。名人位に通算5期つくと、「永世名人」の称号がつきます。但し、永世名人は引退してから名乗る規則になっています。初代名人から350年経ちますが、永世名人はたった17人しかいません。
 
「日本将棋連盟」とは?
日本のプロ棋士は、全員、日本将棋連盟に所属しています(現役棋士約140人、引退棋士約40人、うち女流棋士約30人)。毎月、お給料が支給されます(基本給+対局料+賞金)。また、成績や実績でランク付けされています(A級、B1級、B2級、C1級、C2級、フリークラスに分かれている)。日本将棋連盟の仕事は、プロ棋士をまとめるほか、将棋の普及活動も行っています。
 
■室町時代
(2)室町時代の終わりごろに、人気急上昇

ルールが改正されて、相手から取った駒が使えるようになりました。戦国の世の「きのうの敵は、きょうの友」という発想が受け入れられたのでしょう(ものしり辞典1を参照)。次第に、将棋の人気は上昇!その後、日本独特の将棋として大きく発展していきます。

■ 安土桃山時代〜江戸時代
(3) 安土桃山時代に、名手誕生。
大橋宗桂(そうけい)という名手が生まれました。

(4)江戸時代に、家元制度誕生。

江戸時代になって、徳川家康は大橋宗桂を「名人」とし、幕府から給料を出して、将棋の指導・普及にあたらせました。プロ棋士の第1号です。やがて、「大橋本家」をはじめとする、将棋の「家元」が現れました。
 

■明治時代
(5) 明治維新、家元制度廃止。それと共に将棋は衰退。

(6) 明治末に新聞欄に掲載されて、人気再沸騰。 
「万朝報」という新聞が将棋の欄を設けると、相次いで、他の新聞社も将棋のページを開くようになりました。一時期、衰えていた将棋もこれでの人気を盛り返しました。

■昭和時代

 (7)  昭和23年、「日本将棋連盟」結成。