L i e n
脾臓
脾臓は左上腹部---胃の裏側にあって、左後上方に向いた凸 面を横隔膜と接し、反対側の凹面は前下の左の腎臓にくっつく、という位置関係になっている。腹腔の奥まったところにあり、ふだん腹壁の上からは触知できない。長さは10センチ、幅6.5センチの楕円形で、厚さは3センチ前後(老人では萎縮してもっと小さくなっていることが多い)。手で軽く握ったこぶしを作った形をイメージすればいい。重さは120グラムぐらいである。だが、この容積は、そのときどきの血液含有量 でかなり大きく変化する。さらにその形も、実質が柔軟なため、周囲臓器の位置や形状によって影響され、変形しやすい。
脾臓の外観は暗紫危である。表面 は平滑筋を含んだ線維性の白い被膜で覆われ、その一部が内部に棒状に侵入し(脾柱)、実質の支柱のような役割を果 たしている。この脾柱は実質内でたくさんの枝を出して互いに結合、柱網と呼ぱれる状態を作る。この網の日を充たしているのが脾髄である。
脾髄を切り開いてみると、その割面 には煉瓦色をした赤色髄と、灰白色で粟粒状の結節である白色髄とを見ることができる。赤色髄は脾柱間の間質を充たした豊富な毛細血管からできており、多量 の血液を含んでいるために、暗赤色を呈しているのである。一方、白色髄を形づくっているのは脾臓内に散在している0.5@程度のリンパ小節群である。
いずれにせよ、脾臓は水っぽい(血液、リンバ液が多い)臓器とである。
はじめに、老化赤血球の処埋がある。赤血球の寿命は120日ほどといわれている。これらが老齢化していくと、その含有水分量 ・細胞膜に変化が起こり、血球全体が変形してくる。赤血球はもともと薄い円盤形をしていて、その形を自在に変化させながら末梢部分のひじょうに細い毛細血管をもうまくくぐり抜ける。老化がすすむと、本来持っていた細胞としてのフレキシビリティを失い、そんな狭い部分をくぐり抜ける能力を失ってしまうのである。
脾臓の赤色髄には、非常にうまくできた赤血球ろ過装置があり、老化した赤血球をそのフィルターでストップさせる。そして、待機させておいたマクロファージ(大食細胞=白血球の一種)にその老化赤血球を貪食・破壊させる。簡単に言うと、廃物処理業者的な役割を担っているのである。さらに、崩壊した赤血球から遊離した鉄分を貯えておき、必要に応じて血液中に動員、ヘモグロビンの合成材料を供給する。つまり、リサイクルショップ的な役割も果 たしているのである。脾臓はまた、血小板(止血に関係する血球成分)の貯蔵庫としても利用されている。ぷだん脾臓は、血小板全量 の3分の1を貯蔵しており、必要に応じて血中に放出する。逆に、なんらかの理由で脾臓が大きくなると、血小板の貯蔵量 が増す。つまり末梢血液中の血小板数が減り、出血しやすい状態になってしまうこともある。これは病的な状態(だとえばバンチ症候群)で、程度がひどいときには脾臓を摘出しなけれぱならない。(そういった病的状態はひじょうに稀である)なお、白色髄では、免疫に関与するリンパ球、とりわけ抗体の産生細胞であるBリンパ球が作られる。
脾臓があまり知られていないのは、ヒトが幼い時に主に活動するからである。たとえぱ胎児期、脾臓は骨髄で造血がはじまるまで、血球を作る造血組織としてとても活発に働いている。小児期においては、子供達の細菌感染を防ぐため、重要な役割を担っているのだ。その証拠に、4,5歳以下で脾臓を摘出すると感染症が重症化しやすいのである。人が成長するにしだがって、それまで脾臓が行っていた仕事は、リンパ節・肝臓・骨髄などに取って代わられるのである。内科の医者がときおり思い出したように脾臓を意識するのは、たとえば白血病や肝硬変などの門脈うっ血、またマラリアなどの感染症などの結果 生じる脾腫---脾臓が腫れたときである。(大きさが200Kを超えると、肋骨弓から下にはみだしてきて、腹壁の上から触知することができる)しかしそのときも、白血病を診断するための、ひとつの兆候としてチェックするにすぎない。このあたりの事情は、胸骨の裏側にある胸腺とよく似ている。胸腺も乳幼時期には大きく発達しており、重要なリンパ組織として活躍している。だが、成長とともに、思春期以降はどんどん退化していってしまうのである。
脾臓は西洋医学ではかなり軽んじられている。だが、東洋医学では逆に大きな意味が付加されているようだ。もちろん、五臓六腑のひとつに数えられているし、『脾臓の神秘』なんて本も出版され、すべての病気は脾臓をコントロールすることでうまくいくという考え方さえある。(この本の内容はあまり論理的とは言えず、説得力の点でかなり間題はあるが)西洋でも最初から無視されていたわけではない。途中からその評価が変わってしまった。脾臓は英語でspleenというのだが、これはもともと、「気力や感情の宿るところ」という意。なかなかのプラスイメージだ。それが近代になって、なぜか「不機嫌」、「憂鬱」の意味に転じてしまったのである。