陰陽説
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陰陽道の歴史は、陰と陽のせめぎあいの歴史である
「陰陽道」と聞くと、すぐさ まおどろおどろしい宗教に結び付けたがるが
元を正せば古代中国のれっきとした学問である
陰陽道の根拠となっている思想を「陰陽五行思想」と言う
その起源はとても古く、紀元前2000年の中国にまで溯る……


陽説は森羅万象の状態を表す概念で、「易」に由来する。「易」とは「蜥易」、ずばり「トカゲ」という意味である。

 紀元前2000年の中国では、爬虫類 に凝っていたそうだ。つまり、トカゲである。トカゲは水を好み、水滴を吐く。この事から、人々はトカゲが天界の水源に通じていると睨み、その秘密を探ろうとした。これが、俗に言う、雨乞いの始まりであると言われている。

次に彼等が注目したのはヤモリ。ヤモリは周囲の状況を敏感に察知し、身体を5色に変色させる。この事から、人々はヤモリは人間にはない能力でもって、天か地の何れかに情報源をもつに違 いないと考えた。そこで、人々はヤモリの変色というシグナルを盗用する事にした。 これが、皆さんもご存知の占いの発生であると言われている。

 やがて、周王朝が起 こった紀元前1100年頃、この様な学習をまとめ、本を編纂した。『易経』という。中国人は、爬虫類の習性を観察し、そうすることで何らかの規則性を 見出し、天地万物の謎に風穴をあけようとした。これこそが、陰陽道の始まりだっ た。


それにしても、なぜ爬虫類なのだろう?


 この問いは誰しもが思い浮かべるに違いない。その答の鍵は我々人間の進化してきた過程にある。

 我々人間は、何億年という長 い月日をかけて今の姿へと変化した。全ての生物は海から生まれたが、我々人間とて例外ではない。元を正せば、我々とて、爬虫類と同類なのである。
 「その記憶が我々の遺伝子に刻まれている事は、羊水に浮遊する胎児の形相を見れば明らかである」と滝沢解氏は著書に書いているが、確かに胎内で浮かんでいる我々の姿は、なるほど、見れば見るほど爬虫類の形にそっくりだ。我々は、濃度0.85%の生理的食塩水、つまりは海水で満たされている子宮の中に、およそ十ヶ月漂い、無意識の中で、生物が辿った三億年の進化を体験し、この世に生まれ出でるのである。

 この体験は、ユン グのいう「普遍的無意識」として、普段意識されないが、心の深層に眠っていて、ふ とした瞬間にフッと蘇る事がある。これは人類共通の意識である。

 こう考えると、古代中国人が彼等に親しみを抱いたとしても不思議ではない。なぜなら、トカゲは何処からきたのかという問いは、人間は何処からきたのかという問いと等しいからだ。
 この問いを聞き出す為に、シャーマンを選び出した。しかし、彼等が導き出した宇宙論 は、あまりにも抽象的で真相がまるでつかめなかった。そして、古代中国人は視点を天に移していく。


星はなぜ輝くのだろうか?


 これも、夜空を仰ぎ見たものなら誰しもが思い浮かべる問いである。古代中国人は、ここに重大な秘密があるに違いないと考えた。現代科学でもってすら、未だ完全には解けていない謎である。

 とりあえず、夜が暗いのは、宇宙の歴史がビックバンと呼ばれる一点の爆発に始まった為、星の光が未だ宇宙全体を 満たすだけの時間が経っていない為、と言う理論が、現在の宇宙論では一般的である。


古代中国人は、宇宙始源を「混沌」であると考えた。


 この事が、『三五暦記』に 「未だ天地あらざりしとき、混沌として鶏の子の如く、溟こうとして初めて牙し、 濛鴻として滋萌す」と記されている。
 混沌とは、天地万物を生成させる根源的エネルギーの事を言う。地球以前の宇宙は、混沌とした限りなく巨大な空間だった。この空間が弾けると、混沌の中の軽く澄んだ気は上昇して「天」となり、重く濁った気は下降して「地」となっ たと、古代中国人は想像した。

 まず、乾いていて清潔でまとまりやすい性質が集まって天を造り、湿って様々なものが交じり合った成分は固まりにくいので、遅れて大地 が誕生した。
 この事が、『淮南子』に「清陽なるものは薄靡して天となり、重濁なるものは 凝滞して地となる。清妙の合専するは易く、重濁の凝けつするは難し。故に天まず成りて地、後に定まる」と記されている。


二元論的に物事を区別する概念として考えると
能動的・攻撃的・昂進的状態に傾 いているものを「
受動的・防衛的・沈静的状態に傾いているものを「」と言う。


 生物で考えると、雄は陽で、雌は陰に配当される。同様に、明るい・剛い・火・ 夏・昼・表などは「陽」、暗い・柔らかい・水・冬・夜・裏などは「陰」という事になる。
 また、ベクトル的な概念として考えれば、前進・右旋・上方への運動・右への 運動などが「陽」、後退・左旋・下方への運動・左への運動などは「陰」という事になる。
 陰陽は物事の相対的な相を示す概念でもあるのである。

 陽は陰を含み、陰は陽を含んでいるのである。万物はそれが置かれている状況によって、ある時は陽と現れ、またある時は陰となって現れる。
 つまり、陰陽は絶対的なものではな く、時と場所にしたがって、反対のものへ転じる事もあるのである。(例:太陽の下ではろうそくは「陰」の要素だが、宵闇の下ではろうそくは「陽」の要素となる。)

 「陰」「陽」の二つの気は、元来混沌という一つの気から生まれたものなので、いわば同根である。そこで陰陽の二つの気は、お互いに引き合い、往来し、交感・交合す る。



つまり陰と陽は完全に相反する性質をもつが、元来が同根である為、互いに往来すべきものなのであり

また性質が異なるが故に、却って互いに引き合って、交感・交合するものなのである。



 雨を例にとってこの事を説明する。
 天から地上に降 り注いだ雨が、地下に浸透し、やがて太陽熱によって温められ蒸発する。蒸発した水 分はやがて雲となり、再び雨となって地上に降り注ぐのである。
 全て、この雨のよう に天地間の往来があって、はじめて万物は輪廻が可能となるのである。




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