丸子船について

 江戸時代から戦前までの琵琶湖周辺の輸送は丸子船が担っていました。かつては丸船、あるいは丸太船と呼ばれていたようで、丸木をたて半分に割ったような形が特徴です。江戸時代の中ごろには約1400そうの丸子船があったといわれ、そのうちこの100万石積(米俵250俵積)のものが最も多く湖上で活躍しました。
 江戸時代の中ごろには、約120の港におよそ6000そうの船があったと思われます。そのうち丸子船は約1100そう以上を数え、おもに北陸地方の米をはじめ、昆布、紅花などの物資が運ばれました。

▽丸子船で運ばれたもの△

紅花 紅餅 鹿皮 加賀笠 四十物
棒鱈 昆布 いか 串貝 笹目 干鰯 菜種

 

▽朱印状と船印(焼印)△

 琵琶湖の交通をとりまとめていたのが船奉行です。秀吉のもとでは、芦浦の観音寺(草津市)の住職が船奉行をつとめていました。この朱印状は秀吉が琵琶湖での水運についての規則を定めたものです。そして琵琶湖の主な船は船奉行の元で焼印が押され、登録されていました。