トキ保護の歴史

1892年 「狩猟に関する規則」で33種の保護鳥が定められるが、トキは除かれている。
1908年 保護鳥にトキが加えられる。
1922年 「日本鳥類目録」旧本島学会)にトキの分布として、北海道(函館)本州
(宮古、西多摩、横浜、美濃、越後)伊豆七島、四国(徳島)、九州、沖縄、
台湾、朝鮮をあげる。学名N町ponianipponを採用、以後これが定着。
1926年 「新潟県天産誌」に「濫獲の為めダイサギ等と共に其跡を絶てり」と記されている。
1927年 佐渡支庁、トキ発見を懸賞で呼びかける。
1932年 佐渡の加茂村、新穂村に農林省がトキ捕獲禁止の標柱を立てる。
1934年 トキ、天然記念物に指定
1938年 「天然記念物調査報告」動物之部第3号にトキについて詳述。
1939年 新潟県、トキの生息調査を実施
1950年 新潟県は、佐渡の各町村長へ生息状況調査を指示。
1952年 「特別天然記念物」に指定。
1953年 3月、佐藤春雄氏、佐渡で負傷したトキ(雄)1羽を両津高校で飼育。
4月、上野動物園へ移す。11月佐渡朱鷺愛護会設立。
1954年 2月、前年佐渡から上野動物園に移されたトキ死亡。剥製にされ国立科学博
物館に入る。12月、佐渡禁猟区設定。
1959年 2月、新穂村、両津市でトキの給餌開始。
4月新穂トキ愛護芸設立。5月佐渡朱鷺愛護芸を発展的解消し、佐渡トキ保護会を設立。
1960年 トキ、国際保護鳥に選定。
1962年 佐渡禁猟区(黒滝、和木)設定。新穂禁猟区(国設)設定。
1963年 I2月、新潟県教育委員会調査、成島6羽、ひな2羽を確認。
1965年 3月、佐渡新穂村村有林の一部を国有林として買い上げる。
7月、負傷した「カズ」佐渡黒滝山で保護。新穂村行谷小学校で飼育。
9月、トキが「県の鳥」、佐渡真野町に幼鳥「フク」が飛来した。
10月には佐和田町へ移動した。
餌づけに成功し、12月に福田嗣夫氏により捕獲され、新穂村公民館で5個の卵を産卵。ただし全て無精卵と判定。
1967年 1月、新穂村三育水平にトキ保護センター建設。
4月、近辻宏帰氏トキ保護センターに責任。
11月、トキ保護センターにおいて「フク」「フミ」「ヒロ」の飼育を開始。
1968年 3月、「キン」か宇治金太郎氏により捕獲され、トキ保護センターで飼育開始。
7月、上野動物園、井ノ頭自然文化園、多摩動物公園でトキ保護小委員会を設置し、トキの人工飼育に協力。
1969年 3月、トキ保護センターでクロトキ2羽の飼育を開始。
1970年 能登で本州最後のトキ「ノリ」を捕獲コ新潟県トキ保護センターに移送。
1971年 4月、両津市トキを愛護する芸が発足。
1976年 12月、トキ保護対策委員会が発足。
1978年 5月、トキの卵3個を採取し上野動物園で人工ふ化を試みるが、ふ化に至らずいずれも無精卵と判定。
1981年 1月、佐渡に生息する野生トキを5羽一斉捕獲。
1982年 3月、国設小佐渡東部鳥獣保護区設定。「ミドリ」と「シロ」ベアリンク開始(58年春まで=4月シロ死亡)。
1983年 4月、「ミドリ」と「キン」ベアリング開始。その後、5月分離。この年からベアリングと分離を繰返し62年4月最終的に分離。
1985年 10月、中国の「ホアホア」を借り受け、「キン」とのベアリングを実施。(62年4月-平成元年8月までベアリング)
1989年 11月、「ホアホア」返還。
1990年 3月、「ミドリ」を北京動物園へ移送。「ヤオヤオ」とのベアリング開始。
1991年 H3〜4新潟県トキ保護センターの建設
1992年 9月、「ミドリ」帰還。
1993年 10月、クロトキ、ホオアカトキ、「キン」「ミドリ」が新センターへ移転。
1994年 9月、中国より「ロンロン」「フォンフォン」借入。
12月、「ロンロン」死亡。
1995年 4月、「ミドリ」と「フォンフォン」のベアリング開始。(4月26日までに全部で5個の卵を産卵。ただし全て無精卵と判定。)
4月、「ミドリ」死亡。6月、「フォンフォン」返還。