一時、鳥類学者や鳥獣保護行政を担当していた農林省は、トキが絶滅したのではないかと考えていた。
トキがまだ生きていることが明らかにされたのは1929年(昭和4)のことだった。能登半島の媚丈山で一人のハンターがトキと知らずに1羽の鳥を撃ち落としてしまったのだ。だが皮肉にも,この不幸な出来事によって,トキの生息が確認され,禁猟区指定という具体的な保護策がとられるようになったのである。トキ保護のためにはじめて指定された禁猟区の面積は142へクタールであったという。
また1931年(昭和6)には,佐渡島で鳥類学者の鷹司信輔氏によって派遣された調査員が飛んでいる2羽のトキを発見した。これがはじめての学術的な生態の記録である。その後,1932年(昭和7〉には巣と卵が確認された。同年8月には,はじめての生態写真が撮影され,おぼろげながらではあるが,トキについてのことがわかりはじめてきた。そこで農林省は12月に,トキの生息地である,現在は新潟県両津市になった加茂村と河埼村,そして新穂村にトキ保護を訴えるための標識を立てた。それには「朱驚保護せらるべし農林省」と書かれていたという。
さらに1933年(昭和8)には,新潟県かトキの天然記念物指定を文部省に申請。翌1934年(昭和9)12月28日付をもって国の天然記念物に指定されたのである。
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その4年後の1938年(昭和13)には文部省から『天然記念物調査報告:動物の部第3輯』がだされた。これにより,当時のトキかどのような状況におかれていたかを知ることができるようになった。この報告書では,能登半島と佐渡島が生息地として取り上げられている。また住民などから聞いた話を総合して,能登半島には5〜10羽,佐渡島には20〜30羽以上のトキが生息していると推定している。
ところが,1935年(昭和10),1937年(昭和12)に島根県隠岐の知夫里島でそれぞれl羽が,また同じころ隠岐の西ノ島でもI羽が射殺されている。当然,隠岐にもトキが生息していたことが明らかにされてもよかったのではないだろうか。しかしこの報告書ではまったくふれられておらず,やっと1939年(昭和14)になってはじめての調査が行われた。
調査を担当したのは広島大学教授佐藤井岐雄氏である。残念ながら直接トキの生息を確認することはできなかったものの,地元の人々の話からトキ生存をうかがい知ることができたのである。ところがその後の資料を調べても,隠岐でトキ保護の対策が立てられたという記録は残っていない。そのせいもあってか,この時点で知られていた3個所の生息地のうち,トキが最初に絶滅したのが隠岐であった。 <戻る>