トキと人間との関わり


l月15日を中心とする前後3日間に行われる田畑の害鳥を追い払う行事に鳥追がある。主に子供たちが中心となり,棒をたたきながら音をだし家々をまわる。このとき歌われる歌が鳥追歌である。今日でも,新潟県,秋田県,長野県などに幾つか鳥追歌が残っている。
鳥追歌の中で害鳥として歌われているものには,サギ,カモ,カラス,スズメなどが多い。そして,新潟県の鳥追歌の中には,トキがこれらの害鳥とともに歌われている。トキが歌われている鳥追歌を「新潟・烏のことわざと方言jより幾つか紹介してみよう。「一番一番にくい鳥はどう(トキのこと)とさんぎ(サギ類のこと)と小すずめ(スズノのこと)押して歩くカモの子立ちあがれホーイホーイ」(新潟県南魚沼郡大和町)「どうとさんぎと小すずめと柴を抜いて導ってた佐渡か島まで追ってった」(新潟県北魚沼郡堀之内町)「小すずめのちくしょうが穂を三本盗んで甘酒つくり申しどうとさんぎをよんできてどうにろっぺい(六杯の意味)さぎに三べい(三杯の意味)酔った酔ったこんときだ手も足も真っ赤だきしんとり(キジのこと)にぼつさらせ(背中にしょわせ)佐渡が島ヘホーイホーイ」(新潟県北魚沼郡小出町)


トキはサギやスズメ,カラスともども,人間にとっては,田畑を荒らすにくらしい害鳥だった。逆にいえば.スズメやカラスと同しくらい一般的な鳥であったということか。とにかく,人間の目の前におそれもしないであらわれていたことは事実のようである。中深い谷あいに生息し,非常に警戒心の強いおくぴょうな烏というイメージのあるトキとはだいぷちがう。トキのほんとうの姿は,鳥追歌に歌われるように人間の身近にすむ旦烏だったのではないか。人間の乱獲のために,やむをえず山深くにかくれすむようになったのではないだろうか。
明治中期以前,トキは日本中に生息していたようだ。各地に残る古い文献や鳥追歌などからも想像できる。
そのトキが幻の鳥とよばれるようになった原因の一つには人間の乱獲がある。トキのいちばん美しい姿は,トキ色の翼をいっぱいに広げて飛んでいるところだろう。人間がトキの美しい羽に目をつけて,いろいろなものにその羽を使おうとしたところにトキの悲劇が生まれた。では,どんなものにトキの羽は使われたのか。
伊勢神宮では20年ごとの式年遷宮の際に,御神宝21種を新たに調整する。その御神宝の一つ「須賀利太刀」の柄に,2枚のトキの尾羽が使われている。「延喜大神官式」に「須我流横刀一柄 柄長六寸鞘長三尺,其鞘以金泥画柄以鴇(トキのこと)羽纏之」とあり,これに従って,1200年前から,1973年の第60回の遷宮まで,60本の太刀が奉納されている。




古い文献によると,太刀の柄にカラスの羽をつけるとの記載はあるが,なぜ「須賀利大刀」にかぎっては,トキの羽を使ったかはわかっていない。ただ,「須賀利太刀」のような金や宝石(ひすいなど)で装飾された美しい太刀などに美しいトキの羽が使われたのではないか。
茶道の「お炭つぎのお手前」で使用される羽等にもトキの羽が使われていたらしい。「続日本随筆索引」に「桃花鳥(トキのこと)の羽にて羽等を作る」とある。ワシ,ツル,タカなどと同様にトキの羽篇は,たいへん貴重なものとして使われていた。現在は,トキがいなくなったので,茶会でもほとんどみることができないようだ。ただ,「お茶の道具組み」(江守奈比古著)の「墨蹟の光悦会(1972)」の記録に「羽等 紅驚(トキのこと)朽木沢翁所持 同箱書」とある。確かに,茶道でトキの羽篇が使われていた事実はあるようだ。もしも,茶会の席でトキの羽幕を見かけることがあれば,非常に貴重な体験をしたことになる。
矢羽に使用したという記録は数多くある。「古今著聞集」(1254)には「トキの羽で懸矢を作る」とある。加賀前田藩の改作所旧記」や「政隣記」には,トキの羽を矢羽や羽管,装飾などに用いるために集めたという記録が残っている。

このほかトキの羽は,養蚕で使う羽篇,羽根布団,アユやカツオの毛ばりなどに用いられていたようだ。
トキの肉は.女性の冷え性や血の道によくきくといわれていたようだ。「宜禁本草集要歌j(1600〜1620)にトキの効用について,「たうの鳥(トキのこと)甘く平なり気をふさぐ血の道に吉し少し用ふる。たうの烏多く食すな目もかすむ腎には嫌ふこころとぞしれ」とある。かなり古くからトキの肉は食べられていたようだ。しかし,あくまでトキの肉は病気の薬として食べられていたもので,どちらかというと食用としていたわけではないようだ。
鳥追歌の中では,トキは害鳥である。しかし,トキの羽は多くのものに人間が利用し,またその肉は薬としての効用もあった。この点からみれば,トキは人間に対して利益をもたらす益鳥だったのだ。しかし,明治時代にはいると,狩猟の方法も進歩し,トキの羽や肉が商品価値をもつようになり乱獲がはげしくなった。そして,トキの羽はとうとう外国にも輸出されるようになった。大蔵省記録局の「物産志科稿本j(1881)という資料がある。これは,日本の輸出品の目録をあらわしたもので,この中にはトキの羽がでてくるのである。「『朱鷺』フィーゾル・オブ・ジャパニーズイビス,羽第二造リテ美ハシ,文カツヲヲ釣ルモ毛鉤二造ル」と記述され,外国では,トキの羽を貴婦人の帽子の羽がざりにしたり,羽根布団の材料とするために輸入したのである。トキの数が減れば,田や畑を荒らすこともなくなる。害鳥としてのトキの存在はどんどん薄れていき,幻の鳥の道を歩みはじめたのである。