広島市立本川小学校

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本川小学校は、昭和20年(1945)8月6日の原子爆弾投下の際、
爆心地にもっとも近い学校として多大なる被害を受けました。
校舎は外部を残して全焼、壊滅し、校長先生ほか14名の教職員と
約400名の子どもたちの尊い生命が一瞬のうちに奪われました。

この「平和資料館」は昭和3年(1928)に広島で初めて建てられた鉄筋
3階建ての校舎の一部で、中は当時の惨状を髣髴とさせるほどでした。
まず、中へ入った時はまわりのコンクリートの壁に驚くと思います、
実際に入った自分は、なかで寒気のようなものを感じるぐらいでした。
また、なかに展示してある展示品は、熱戦や爆風によって折り曲げられた銃をはじめとし 数多くの貴重なものばかりです、平日に行くとごく普通の小学校で
元気な小学生の姿も見られます(^_^;)
アポ取りの方法は、基本的には教頭先生に日時や人数を伝えておけば
学校のある日(小学校の授業がある日)ならば誰でもいけるはずです。

《本川小学校平和記念資料館の展示品》

額−安らかに眠ってください    (碑文額)
雑賀教授の碑文(原稿)
写真−本川小学校の被爆状況を中心にしたもの…10点
   広島市の被爆状況をあらわすもの…20点
遺物−とけたガラス、焼けただれたモンペなど…30点


広島市中区本川町1-5-39--------TEL082-232-3431

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