浦上天主堂

被爆直後 昭和30年10月

浦上天主堂の歴史

戦国時代末期からキリシタンの村であった浦上は、 幕末〜明治時代初期にかけ、キリスト教が解禁されるまで 激しい弾圧を受けていました。

そのような弾圧に耐え抜いた信者たちはキリスト教解禁後、 1880年仮天主堂を建造しました。しかし仮天主堂では、 信者の数の増加に間に合わず、1914年に赤煉瓦造りの 当時「東洋一」の天主堂が作られました。その10年後、双塔ができ、 聖鈴がつるされました。

しかし、旧天主堂は、1945年8月9日。原爆により破壊焼失してしまいました。

1958年4月に、旧天主堂が広島の原爆ドームのような語り部運動の役割を 果たすということで、旧天主堂の保存運動が起こりましたが、結局、 すべて撤去、再建されました。

現在の天主堂は1959年に再建されたもので、現在、毎日正午に、 『長崎の鐘』が鳴り響いています。

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