蛇王ザッハーク
――蛇の寄生した悪王の祖――

 ペルシャの神話中、最大の英雄王であり至上の名君と語りつがれているジャムシード王は、イ ンド神話にも共通してあらわれ、「ヴェーダ」の中ではヤマという名で呼ばれている。古代イン ドとペルシャとは、最初から、かつ永続的な類似があり、ジャムシード王の三代前の王、フーシャ ングのころから、ペルシャ人一般に始まったという火の崇拝と、インドの火神アグニの奉斎もそ の一つであるという。一人の有名な王が二国に共通してあらわれるのも、その″永続的類似の一 つ″であろう。
 ヤマは、とくに死後の世界の支配者とインドでは考えられ、中国・日本へは仏教化されて伝わ り、ヤマすなわち閻魔様になっているときけば、この古代ペルシャ王もまんざら私たちと縁のな い人物でもなくなる。
 ジャムシード王は、その権力が絶頂に達した晩年のころからやや上見ぬ鷲となり、アフラ・マ ズダ(善神)の栄光は彼から去った――この年老いて増上慢に陥ったということも「人間的な弱 点」をそなえた王として、彼が伝えられている一例である。神と区別がつかないような王よりは むしろ親しみが持てるのだ。
 しかし治下の民はジャムシードのもとを去ってアラビアに向かい、「龍のような恐るべき王」 の下に集った。これがマルダースという地方的な王の子であるザッハークであった。ザッハーク は悪魔が王の若い友という姿で彼に近づき、その悪魔にそそのかされて父マルダース王を拭逆( しいぎゃく)したという。この父殺しのよこしまなザッハークが、神の栄光が去って衰兆を呈し ていたジャムシード王をも討ち滅ぼし、大ペルシャの王位を纂奪(さんだつ)するのである。
 ザッハーク王は一千年も王位についていて、アングラ・マイニュ(悪神)の化身としてあらゆ る悪政虐政の限りを尽した。――極悪の王でありながら、また伝説であるとはいえ、その在位の 長いこと、夏の架王(けつおう)も殷の紂王(ちゅうおう)もものの数ではない!
 このザッハークが父の王位を奪ってからともいうし、ジャムシードを倒して無上権を握ってか らともいうが、妖奇変怪も極まった現象が、ザッハークの肉体に生じた。――「王は半狂人の如 くなり、その両肩より、黒き蛇、瘤の如く、生え出でぬ。王は大いに驚き、種々治療を施せども、 蛇の鎌首は日に増し大きく成長し行くのみ。王は遂に根元より蛇の首を切断せしに、その根は深 く肉の中に在る事とて、木の枝同様、蛇はその痕より又生え出でて王を悩ませり」(『通俗世界 全史・大波斯王国』ょり、薄田斬雲)。
 かの悪魔は、あれ以来、ザッハークの寵臣として身辺にあったが、このときまたしゃしゃり出 て王に入れ知恵した。「陛下、これは避けられぬ運命です。蛇は切り取らず、そのままにしてお 置きなさい。それより人間の脳を餌としてお与えなさい。そうすればやがて蛇は自滅するでしょ う」と。
 以後、人民は次々にこの蛇二匹の餌として脳を食われて減ってゆき、その苦しみは言語に絶した。やがて、一七人の子を一人のこらずザッハーク王の蛇に食われた鍛冶屋のガーウェが、その 汚い前かけを旗印にひるがえして人々を説き、暴王と戦い、ついにジャムシードの孫ファリードゥ ン(ヘリドン)にめぐりあって、王位復興戦争に勝利を得るにいたり、汚い犬の皮の前かけは、 ペルシャの王族に制定されるのである。

 これらの伝説をしるした『王書』(シャー・ナーメ)や、『ヴェーダ・アヴェスター』には、
ザッハーク王が悪魔と結託したことを昔から今まで、ためしもきかぬことなりとしているが、伝 説の形そのものも前後未曾有である。いかなる悪王暴君たりとも、魔道に嗜耽(したん)して髪 までがタカの羽のように変り果てたカルデア王ネブカドネザルの例はあるが、両肩からヘビが生 えて来た王は類がない。ヘビのような異物が体外に突きだす畸型症に、ザッハークはかかったの であろうか?しかし肉体の一部であるものが、生きて動いて餌を食うであろうか?
 まして、ヘビが人間の脳であれ動物の脳であれ、そんなものを食うはずがないではないか?  これは「そんなことが事実あったかどうかということよりも、あったと伝えられ、記されてい るという事実が大切なのだ」という文献学的な立場からいうならば、ザッハーク王の猛悪を、形 にあらわしたものだというたぐいの解釈が、なされるところであろう。双の肩から生えたヘビと は、ザッハークの邪心のシンボルではないだろうか。

いったいペルシャ神話界には、龍をも含めて奇怪な爬虫類の跳梁がともしくない。第一、天地 開創のそのはじめ、善神アフラ・マズダが東イランに″善き邦″を創造すると、悪神アングラ・ マイニュ(アーハルマン)は「河に蛇を創った」。善神がハエートムントとよばれる美しい地方 を出現させると、悪神はトカゲを生れさせて対抗した(ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』 )。フーシャング王は「世界を燃やすほどの大蛇」に大石を投げつけると、そこに火が生じた。 ファリードゥン王は三人の王子がイェーメンからもどったとき、その勇気を試すために炎を吐く 龍に変じてその前にあらわれた。オルコットの選した『波斯神仙譚』でミスナル王に敵対する魔 法使いオロマンドは毒龍に、タスナルは牙からポタポタと毒液を滴らせている毒蛇にまたがって いる。
 そのように、奇怪な爬虫類はしばしばあらわれ、しかも例外なく善・正義の敵対者であり、悪 の象徴である。ことに、ヘビに対する偏見はこの国でも、そんなに古くから(一番はじめから―― つまり有史以前の原始人の時代から)あった。多くの無害で、有益で、毒のないヘビがいるのに、 必ず「毒牙のある」「黒い」ヘビと語られるのも、それが「人類の敵」として描かれているから で、すなわちこの不幸な被害者・ヘビに対するニンゲンの深い悪意を示している。
 足がないのにぬるぬると地を這う、毛がなくて長い体といううす気味悪さ、そしてたしかに毒 蛇にかまれれば生命を失う危険があり、少くとも非常に激しい苦痛を経験しなければならないの だから、今でもなおニンゲンの大多数が、「私はヘビに対して本能的な恐怖を抱いている」とい うのも無理はない。それは実は幼いころから「学習」したものであり、かつ毒蛇に対してどのよ うに行動すればいいか知らないために、毒蛇は「やむをえず自衝上」人をかむのであるが、しか しうっかりヘビをふみつけた人を咎めるわけにはいかない。

 蛇王ザッハークが「三つ頭、三つの口、六つの目、一〇〇〇の魔術」を持った強大な悪龍であっ たと伝えられるのも、二匹のヘビが肩から生えたというのも、そうした意味での「悪のシンボル」 であった。そしてこの王はペルシャではいちいち善神に対抗する悪神の勝利を示し、ヘビに人民 の脳を食わしたのは、悪神の人類絶滅計画であったとされる。さらに歴史的には、ザッハークは、 古代イランを征服したり侵略したアッシリア人やカルデア人をあらわす、あるいは暴風雨のよう な自然の災害を人格化したものであるなど、さまざまに解釈されている。

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