このような違いがあって『瀬山の話』の『檸檬』は『檸檬』になった。
『檸檬』とは「青空」の創刊号に掲載するための草稿『瀬山の話』のうちのひとつの挿話として書かれたものでした。しかし、草稿『瀬山の話』を完成させる事をあきらめ、その中の一節を独立した作品 ― これが『檸檬』だったのです。
しかし、挿話をそのまま抜き出しただけではありませんでした。構成を整え直し、活かせるところは活かしながら書いたのでした。 作品(書きなおされた檸檬のほう)の一文目は、『瀬山の話』に書かれた語り手から見た「瀬山」という人物はなくなり、名前もない「私」の気分の状態があらわされることになりました。
次に、「焦燥と云はうか、嫌悪と云はうか―酒を飲んだあとに宿酔があるやうに、酒を毎日飲んでゐると宿酔に相当した時期がやつて来る。それが来たのだ。これはちょつといけなかつた。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。」
とあります。生活や身体が悪いよりも気分が悪いのがいけない・・・というのは、気分が何よりも1番大事という事を示します。これを示すうちに、「私」が酒を毎日飲む人物であり、神経衰弱や、肺尖カタルになり、背を焼くような借金があることがわかります。しかし「私」とって、こんな事は問題ではなく、問題なのは、心をおさえつけている”不吉な塊”だけなのです。 草稿には、この部分はありません。
しかし、そのあとの”不吉な塊”が「私」を居たたまらずさせるという部分の気分の状態を具体的な例で示すところは草稿を活かしています。 そして、草稿にはなかった1節が入ります。京都の街を歩きながら、別の街を歩いているように錯覚すること、さらに想像して、錯覚を楽しむこと。これは、やがて「私」が1個のレモンをこの世の”総ての善いもの総ての美しいもの”と思い込む錯覚、 そして、さらなる想像の前触れになっています。
そして、そのころ「私」は”見すぼらしくて美しいもの”にひきつけられたとあります。その”見すぼらしくて美しいもの”への愛着が八百屋の棚の上のレモンに「私」を誘ったのです。
梶井基次郎は『瀬山の話』の中の1挿話をひとつの独立した作品に仕上げるために削ったり、心の動きを足したりしながら整えていきました。 草稿から八百屋の歪んだ鏡に移った果物の像を描いた部分も除いてしまいます。草稿ではここは、「瀬山」の精神の歪みと対応するところでした。
そして、レモンの”単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚”に喜びを感じる精神の有り様が書かれています。ここでは「感覚」を強調するために、意識的に並べているのです。
その感覚の喜びは、身体に温かい血を流れ出させ、元気を沸かせます。精神の憂鬱が晴れる様子も具体的に書かれます。そして重さの様子が出てきます。”その重さこそ常々私が尋ねあぐんでゐたもので、疑ひもなくこの重さは総ての善いもの総ての美しいものを重量に換算してきた重さ”だ と。
草稿で、この話は、どこまでも愚かな狂人芝居と「瀬山」の口から語られていました。しかし作品『檸檬』では、そのような言葉を無くしました。そのあとは、”そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。”という1文に改められています。
レモンに元気づけられた「私」は、日ごろ避けていた丸善の店に中に入っていきます。しかし、憂鬱がやってきます。そこでレモンを置いてみる。そして、丸善を出て、レモンを「黄金色」の爆弾にしたて、気詰まりな丸善を木っ端微塵にする想像をする。 こうして作品は終わります。
この話は『瀬山の話』の挿話として書かれていたのを、心理にいろいろなものを与えて構成しなおさ れました。このような違いがあって、初めてひとつの独立した作品『檸檬』になったのです。