瀬山の話

 

私はその男のことを思ふといつもなんともいひ樣のない氣持になってしまふ。いて云って見れば何となくあの氣持に似てるようでもあるのだが―それは睡眠が襲って来る前の朦朧とした意識の中の出来事で物事のなだらかな進行がふと意地の惡い邪マに曾ふ(一體齒がゆい小惡魔奴はどんなに奴なんだらう!)かんな事がある―着物の端に汚いものがついてゐる、みんなとった筈だのにまだ破片がついてゐる、怪しみながらまた何の氣になしにとるとやはりついてゐる、二三度やってゐるうちに少しあせって來る、私は朦朧とした意識の中でそれを洗濯する、それでも駄目だ、私は幻の中で鋏を取り出してそこを切取る、しかし汚物の破片は私は逆上をせゝら嗤ひながら依然としてとれずにゐる。―私はこの邊でもう小惡魔の意地惡い惡戲を感じる樣に此頃はなってゐるのだ。―あゝこの惡戲に業を煮したが最後、どんなに齒がみをしてもその小惡魔のせゝら笑ひが叩き潰せるものか。要するに絶不可能なのだ。たゞほんの汚物の破片をとり去るだけのことが!
然しそれが汚物ならまだいゝ。相手が人間だった時は、然もそれが現實の人間を相手である時ににはどんなにその幻はみじめだらう。こちらが二と出れば向ふは三と出る、十と出れば、平氣で二十とでる、私はよくその呪はれた幻の挌闘でいまわしい夜を送るのだが。
まあこの樣なことは余計なことなのだ、今も云ふとほり私はその男のことを思ってゆくうちにはきっと、この樣な、もう一息が齒がゆい樣な、あきらめねば仕方ないと思っては見るものゝあきらめるにはあまり口惜い樣な―苦しい氣持を経験するのだ。 そう云って見れば私はこうも云へる樣な氣がする。一方はその男の澄み度い氣持でそしてもう一方は濁り度い氣持である、と。そして小惡魔が味方してゐるのはこちらの方だ。私はこれまで、前者の方にあらゆる祈願をこめて味方に來た。そしてまたこれからも恐らくはそうであらうと思ふ。然し私はもう単純には前者に味方する様にはなれなくなった樣に思うふ。
假りに名をAとしておかう。<彼の顔付を記すかはりに、端倪すべからざる彼の顔面の変りかたを述べん。 少し交際(つきあ)った人は誰でもAの顔貌が時によって様々に変るのに驚いてゐる。私の叔父に一人の精中毒者がゐたが、私が思ひ出す叔父の顔には略三通りの型がある様に思ふ。Aの顔貌はあらましにしても三通だはきかない。然し叔父の顔の三つの型。―一つは厳粛な顔であって、酒の酔いが醒めてゐる時の顔である。叔父はそんな時にはか彼の妻に「あなた」とか「下さい」とか切口上で物を言った。皆も叔父を尊敬した、私なども冗談一つ云へなかった。といふのは一つにはその顔が直ぐいらいらした刺々しい顔に変り易かったからでもあるのだが。それが酒を飲みはじめると掌をかへした様になる。「あの顔!まあいやらしい。」よく叔母は彼がロレツがまわらなくなった舌でとりとめもないことを(それは全然虚構な話が多かった。)口走ってゐるのを見るといひいひした。顔の相好はまるで変ってしまってしまりがなくなり、眼に光が消えて鼻から口へかけてのだらしがまるでなく―白痴の方が敷等上の顔をしてゐる、私はいつもそう思った。それにつれて皆の態度も掌をかへした様にかわるのだ。叔父の顔があんなにも変ったのも不思議であるが皆の態度がまたあんなにも変ったのはなほさらの不思議である。も一つは弱々しい笑顔―私はこの三つの型を瀬山の顔貌の中に敷へることが出来る。彼もやはり酒飲みなのである。然し瀬山の顔貌はあらましにしても三つではきかない。全く彼の顔には彼の心と同じ大きな不思議がひそんでゐる。
瀬山とても此の世の中に處してゆくことが丸で出来ない男ではないのであるが、もともと彼の目安とする所がそこにあるのではないので、とい云っておしまひにはその、試験で云へばぎりぎりの六十点の生活をあの様にまで渇望するのだが。全く瀬山は夢想家と云はうか何と云はうか、彼の自分を責める時程ひねくれて酷なことはなく―それもある時期が来なければそうではないので、またその時期が来るまでの彼のだらしなさ程底抜けのものはまたないのである。
彼は、毎朝顔を洗ふことをすらしなくなる。例えば徴兵検査を怠けたときいても彼にはありえそうなことゝ思へる。私は一度彼の下宿で酒雲に黄色い液體が詰められて、それが押入の中に何本も置いてあるのを見た。それは小便だったのだ。わたしはそれが何故臭くなるまで捨てられずにおいてあるのだらうと思った。 彼はそうする氣にならないのである。気が向かないのだ。
然し一度嫌気がさしたとなれば彼はそれを捨て去るだけでは承知しないだらう。彼は真面目になって臭氣に充ちた押入を焼き沸はうと思ふにちがひない。彼は片方の極端にゐて、その極端でなければそれに代へるのを肯じない、背後にあるのはいつも一見出来ない相談の厳格さなのだ。―いやひょっとすると、その極端に移る気持ちがあればこそあんな生活も送れるのではなからうか。それともそれは最も深く企まれた立退きを催促に来る彼の心の中の家主に對する遁辭ではないのだらうか。もしそうにしてのされは人間が出来る最高度の企みだ、何故ならば人間ならば誰一人それが企みであるとは見破ることはできそうもない、唯、若にそんなことを云ふのが許されるならば神といふもののみがそれを審判するだらう。
彼は後悔する、全くなんでもないことに。 彼は一度私にかう云ったことがある。―親といふものは手拭を絞る樣なもので、力を入れて絞れば水の滴って来ないことはない。彼は金をとることを意味してゐたのだ。 彼に父はなかった。父は去る官吏だったのが派手な生活を送ってかなりの借財と彼を頭に敷人の弟妹―それも一人は妾の子だったり一人は小間使の子だったり、みな産褥から直ぐ彼の家にひきとられたその敷人の子供をのこして死んだのだった。その後は彼の母の痩腕一本が瀬山の家を支へてゐた。彼の話によれば彼の母程よく働く人はない、それも精力的なと云ふよりも気の張りで働くので、それもみな一重に子供の成長を楽しみにして、物件遊山をするではないし、身にぼろを下げて機械の様になって働くといふのである。
私は彼が母から煙草店をして見ようと思ふがどうだといふ相談をうけたり、宿館の老舗が買物に出たから買はうと思ふのだがとかいふ樣な手紙が来てゐたのを知ってゐる。またある手紙は母よりと書いてあるのが消してあって改めて瀬山○子と書き直してあったりした。それは彼をもう子とは思はないといふ彼の親不孝をたしなめた感情的な手紙だった。
私は幾度も彼がその母と一緒に一軒一軒借金なしをして歩いたといふ話を知ってゐる。然しそれは話だけで一度もその姿を見る機曽はなかったのだ。瀬山の母それだけの金を信用して瀬山に渡したりすることは勿論、店へ直接に送ることすら危んでゐたらしい。往々其虚にさへ詭計が張ってあったりしたのだから。然しその頃はまだよかったと云へる。七転び八起き、性もこりもなく母は瀬山の生活の破産を繕ってやってゐた。 本は質屋から帰って来る。新しい窓掛は買って貰った。洋服も買って来た。私は冬枯れから一足飛びに春になった彼の部屋の中で、彼の深い皺が伸びて話聲さへ麗らかになったのを見てとる。―けたたましい時計のアラームが登校前一時間に鳴り、彼は佛蘭西製の桃色の練歯磨の狸の毛の歯刷毛とニツケル鍍金の石鹸入を、彼の言葉を借りて云へば、棚の上の音楽的効果である、意装を凝した道具類の配置のハーモニーから取出し、四つに畳んだタオルを手拭籠の中から掴んで洗面所へ進出するのだ。かれはその様な尋常茶飯事を宗教的な儀式的な昴奮を覚えながら―然もそれらの感情が唯一方恁然たる態度となって現れるのを許すのみで―執行するのだ。
私は瀬山に就てこうも云へる樣に思ふ。彼は常に何か昴奮することを愛したのだと。彼にとっては生活が何時も魅力を持ってゐなければ、陶酔を意味してゐなければならなかったのだ。 然しその朝起きも登校もやがては魅力を失ってゆく。そして彼はまたいつもの陷穽へおち込むのだ。 それにしても彼が最近に陷った状態は最もひどいものだった。彼にとっても私にとってもその京都の高等学校へ入って三年目、私は三年生にゐたし、彼は二度目の二年生を繰返してゐた。―その時の事である。 私は彼が何故その時々あんなにも無茶な酒をのまなければならなかったかと考へて見る。 或はこうでもなかっただらうか。
彼の生活はもう實行的な力に缺けた彼にとっては彌縫することも出来ない程あまりに支離滅裂だったのだ。醒めてゐる時にはその生活の創口がくちを眞紅にあけて彼をせめたてる。彼はその威赫に手も足もでなくなって、どうかして其處を逃げ出したいと思ってしまふ。
私は彼が常に友達―それも彼の生活が現在どうなってゐるか知らないような友達と一緒になりたがってゐたのおw知っている。彼はそれらの群れの中では、彼等同樣生活に何の苦しみもないような平然とした態度を装って見たり、(こうでもあったなら!)とおもってゐる条件をそもまゝ着用したり、そでぃてそれが信用され通用することにある氣休めを感じてゐるらしかった。他人の心の中に第二の自己を築きあげる―そのことは彼の性格でもあった。現實の自分よりはまだしも不幸でないその第二の自己を眺めたり、また第二の自己の相等な振舞を演じたりしてせめてもの心やりにしてゐた。―その頃は殆ど病的だったと云へる。彼はまたその意味で失戀した男になり了せたり、厭世家になり了せたりした。
彼にある失戀があったことはそれより以前に私もきかされてゐた。然し兎も角それはもう黴の生えたものだったのである。然も彼はその記憶に今日の生命を吹き込んでそれに酔佛はうとした。彼は過去や現在を通じて、彼の自暴自棄を人目に美しい樣に当當化できるあらゆる材料を引き出して、それを鴉片としそれをハッシッシュとしやうとしたのだ。
とうとうお終ひに彼の少年時代の失戀が、然も二つも引き出されてきた。そして彼はその引きちぎって捨てられた昨日の花の花瓣で新しい花を作る奇跡をどうやらやって見せたのだ。そればかりか、そんなことには臆病な彼がその中の一人に、恐らくは最初の手紙を書かうと眞面目に思ひ込む樣にさへなったのだ。 その頃彼はその戀人に似てゐると云ふある藝者に出曾った。私は彼にそのことをきいたのだ。そして本氣になってその方へ打込んでいった。―私は一體何時波が正眞正銘の本氣であるか全く茫然としてしまふ。恐らく彼自身にもわからないだらうと思ふ。然し一體どんな人間がその正眞正銘の本氣を持っているだるか―いや私はこんなことを云ひ度いのではなかった。然し私は、恐らくはどんな人間もそれを持てゐないといふことを彼をつくづく眺めてゐるうちに知るようになったのだ。 彼はその本氣でその藝者に通ひ始めた。私は覺えてゐる。彼はその金を誰々の全集を買ふとか、外国へ本を註文するとか云って、彼の卒業を泳ぎつく樣に待ち焦がれてゐる氣の毒な母親から引き出してゐた。或る時はまた彼の尊敬してゐた先輩から借りてそれに充てゝゐた。 彼がその藝者を偶像化してゐたのは勿論、三味線も彈かせなければ冗談も云はず―それでゐて彼は悲しい歌を!悲しい歌を!と云って時々歌はせてゐたといふのだが、とにかく話としては唯彼の思ってゐた女が結婚しようとする。そしてその女はおまえによく似てゐる。といふ樣なことを粉飾して云ひ云ひしてゐたらしいのである。
私は二三人を通してその事を聞いてゐた。その中にはその藝者を買ひ名染んでゐた一人もゐた。その男から私はある日こんなことをきいた。 ―その女子はんがあてに似といやすのやそうどすえ。― ―わてはほんまにあの人のお座敷かなわんわ―その藝者がその男に瀬山の話をしたのだそうなのだ。 その瞬間、私は何故か肉體的な憎惡がその男に對して燃え上がるのを感じた。何故か、何故か、譯のわからない昴奮が私を捕へた。 その頃から彼はu々私の視野から遠ざかって行った。其の後私は彼から其の後の種々な話をきかされたのを記憶してゐる。やはりその挿話もその時には彼の語るが爲のものになってゐたことは間違はないのだ。私は今その挿話を試みに一人稱のナレイションにして見て彼の語り振りの幾分かを彷彿させやうと思ふ。

檸檬
恐ろしいことには私の心のなかの得體の知れない嫌厭といはうか、焦燥といはうか、不吉な塊が―重くるしく私を壓してゐて、私にはもうどんな美しい音樂も 美しい詩の一節の辛抱出来ないのが其頃の有樣だった。
全く辛抱出来なかったのだ、―蓄音器をきかせて貰ひにわざわざ出かけても―最初の23小節で不意に立ち上がってしまひ度なる。 それで四常私は街から街へ彷徨を續けてゐるのだ。何故だか其頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覺えてゐる。風景にしても壞れかゝった街だとか、その街にしても表通りを歩くより裏通りをあるくのが好きだったのだ。裏通りの空樽が轉ってゐたり、しだらない部屋が汚い洗濯物の間から見えてゐたり―田圃のある樣な場末だったら田圃の畔を傅ってゐるとその空地裏の美が轉つてゐるものだ。田圃の作物の中でも黒い土の中からいぢこけて生えてゐる大根葉が好きだった。
私はまたあの花火といふ奴が好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい繪具が紙の一端に塗ってあって、それが花火にすると螺線状にぐるぐる巻になってゐるのだ。本當に安っぽい繪具で、赤や紫や青や、鼠花火と云ふ火をつけるとシユシユと云ひながら地面を這ひまわる奴などが一ぱい箱に入ってゐるところなど變に私の心を唆ったのだ。私はまたあのびいどろと云ふ色硝子で作ったおはじきが好きになったし、南京玉がすきになった。それをまた私は嘗めて見るのが何とも云へない享樂だったのだ。あのびいどろの味程かな涼しい味があるものか。私は小さい時よくそれを嘗めて父や母に叱られたものだが―その幼時の記憶が蘇って来るのか知ら、それを嘗めてゐると幽かな爽かな詩美といった樣な味覺が漂って来るのだ。
察しはつくだらうが金といふものが丸でなかったのだし。―私の財布から出来る贅澤には丁度持って来いのものなのだ。そうだ外でもない、それの廉價といふことが、それにそんなにまでもの愛著を感じる要素だったのだ、―かんがえへて見てもそれが一圓にも價するものだったら、恐らくその樣な美的價値は生じてこなかったヾらう。恐らく私はそれを金のかゝる道具同樣何等興味を感じなかったに相違いない。
私はこうきいてゐる、金持の婦人はある衣装が何圓だときいて買はなかった。然しそれがそれの二倍も三倍もの價に正札がつけかへられて慌てゝ買った。また骨董品などゝ云ふものも値段の上下がその品質の高下を左右する傾きがありはしまいか。私はそれを馬鹿にするのでは決してない。唯それが私の場合と同樣なしかも對蹠的な場合として面白く思ふのだ。
私はまた安線香がすきだった。
それも○○香とかいてあるあの上包みの色が私を誘惑したのだ。それに第一、線香の匂ひがどんなにいゝものだかは君も知ってゐるだらう。
―それで檸檬の話なのだが、私はその日も例の通り友人の學校へ行ってしまって私一人ぽつねんと取棧された友人の下宿からさまよひ出したのだ。街から街へ―さっきも云った樣な裏街を歩いたり駄菓子屋の前で、極りわるいのを辛抱して惡いことでもする樣に廉價な美を捜したり。―然し何時も何時も同じ物にも倦きが来る。ある時には乾物屋の乾蝦や棒鱈を眺めたりして歩いてゐたのだ。
私が果物店を美しく思ったのはのにもその頃に始まったことではなかったのだが私はその日も果物店の前であしを留めたのだ。私は果物屋にしても並べ方の上手な所と下手な所を知ってゐた。どうせ京都だしロクな果物屋などはないのだが―それでもいゝ店と惡い店の違はある。然しそれが並び方の上手下手、正確に云へばある美しさが感ぜられる所とそうでない所と―それの區別にはけっしてならないのだ。私は寺町二條の角にある果物店が一等好きだった。あすこの果物の積み方はかなり急な匂配の臺の上に―それも古びた、黒い漆塗りの板だったと思ふ―こんな形容をしてもいゝか知ら、何か美しい華やかな音樂のアレグレツトの流れが―若しそんな想像が許されるのなら、人間を石に化するゴルゴンの鬼面―的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴオリウムに凝り固まったといふ風に堰きとめられてゐるのだ。も一つはあすこでは例の一山何錢の札がたてゝないのだ。私はあれは邪魔になるばかりだと思ふ。青物がやはり匂配の上におかれてあったかどうかは疑はしい、然し奥へゆけばゆく程高く堆くなってゐて、―實際あの人参葉の美しさなどは素ばらしかった。それから水につけてある豆だとかくわゐだとか。
それにそこの家では―もう果物店としてはありふれた反射鏡が果物の山の背に傾き加減にたてゝあるのだ。―その鏡がまた粗惡極まるもので果物の形がおびたゞしく歪んでうつる。―それが正確な鏡面で不確な影像を映すよりどれだけ効果があるかわ首肯出来るだらう。
そこの店の美しさは夜が一番だった。寺町通は一體に賑かな通りで飾窓の光がおびたゞしく流れ出してゐるがどういふ譯かその店頭のぐるりだけが暗いのだ、―一體角の家のことでもあってその一方は二條の淋しい路だから素より暗いのだが、寺町通にある方の片端はどうして暗かったのかわからない。然しそれが暗くなかったらあんなにも私を誘惑するには至らなかっただらう。も一つはそこの家の廂が眼深にかぶった鳥打帽の廂の樣にかなり垂れ下がってゐる、―そしてその廂の上側、―その家の二階に當る所からは燈が射して来ないのだ。その爲にその店の果物の色彩は店頭に二つ程裸のまゝで點けられてゐる五十燭光程の光線を浴びる樣にうけて―暗いやみの中に絢爛と光ってゐるのだ。丁度精巧な照明技師がこゝぞとばかりに照明光線をなげつけたかの樣に。<細長い硝子の螺線棒をきりきりさしこむ樣に電燈が暗い大道に射出してゐるのだ>
これもつけたりだがその果物店の景色はあの鎰屋の二階の硝子戸越しにあの暗い深く下された果物店の廂は忘れることが出来ない。 ところで私はまた序説が過ぎた樣だ。
實はその日何時ものことではあるしするので別に美しくも思はなかったのだが私はなにげなく店頭を物色したのだ。そして私は其處の家にはあまり見かけない檸檬がおいてあるのを見つけた。―檸檬などは極ありふれてゐるが、その果物屋といふのも實は見すぼらしくはないまでも極あたり前の八百屋だったのだから、そんなものを見附けることは稀だった。
大體私はあの檸檬が好きだ。レモンヱローの繪具をチューブから絞り出して固めた樣な、あの單純な色が好きだ。それからあの紡錘形の恰好も。それで結局私は其家で例の廉價な贅澤を試みたのだ。
私の其頃が例の通りの有樣だったことをそこで思ひ出して欲しい。そして私の氣持がその檸檬の一顆で思ひがけなく救はれた、兎に角敷時間のうちはまぎらされてゐた。―といふ事實が、逆説的な本當であったことを首肯して欲しいのだ。それにしても心といふ奴は不思議な奴だ!
第一そのレモンの冷たさが氣に入ってしまったのだ。その頃私は例の肺尖カルタのためにいつも身體に熱があった。―事實友達の誰彼に私の熱を見せびらかす爲に手の握り合などをしたのだが私が誰のよりも熱かった。その熱い故だったのだらう、握ってゐる掌から身内に染み透ってゆく樣なその冷たさは快いものだった。私は何度も何度もその果實を鼻に持ってゐった。―それの産地の加リホルニヤなどを思ひ浮かべたり、中學校の漢文教科書で習った賣紺著之言、の中に書いてあった、「鼻を撲つ」といふ樣な言葉を思ひ出したりしながら。ふかぶかと胸一杯に匂やかな空氣を吸込んだりした。―その故か身體や顔に温い血のほとぼりが昇ったりした。そして元氣が何だが身内に湧いて来た樣な氣がした。
實際あんな單純な冷覺や触覺や嗅覺や視覺が―ずっと昔からこればかり探してゐたのだと云ひ度くなる位、私にしっくりしたなんて―それがあの頃のことなんだから。
私は従来を輕やかな昴奮に彈んで、誇りかな氣持さえ感じながら―大輪の向日葵を胸にさして街を濶歩した昔の詩人などのことを思ひ出したりして歩いてゐた。汚れた手拭の上へのせて見たり、將校マントの上へ載せて見たりして色の反映を量ってみたり、こんなことをつぶやいたり。
―つまりは此の重さなんだな。―
その重さこそ私が常々尋ねあぐんでゐたものだとか、疑ひもなく重みはすべての善いもの美しいものとなずけられたものを―重量に換算して来た重さであるとか、―思ひ上がった諧謔心からそんな馬鹿氣た樣なことを思って見たり、何がさて上機嫌だったのだ。
舞臺は換った丸善になる。
其頃私は以前あんなにも繁く足踏した丸善から丸切り遠ざかってゐた。本を買ってよむ氣もしないし、本を買ふ金がなかったのは勿論、何だか本の背皮や金文字や、その前に立ってゐる落ちついた學生の顔が何だか私わ脅かす樣な記がしてゐたのだ。
以前は金のない時でも本を見に来たし、それに私は丸善に特殊な享樂をさへ持ってゐたものなのだ。それは赤いオードキニンなオードコロンの壜や、酒落たカツトグラスの壜や、ロコヽ趣味の浮し模様のある典雅な壜の中に入ってゐる、琥珀色や薄い翡翠色の香水を見に来ることだった。そんなものを硝子戸越に眺めながら、私は時とすると小一時間も時を費やした事さへある。
私は家から金がついた時など買ったことはほんの稀だったが、高價な石鹸や、マドロス煙管や小刀などを一氣呵成に眼をつぶって買はうと身構へる時の、壯烈な樣なあの氣持を味ふ遊戯を試るのも其所だった。それに私には畫の本に眼をさらし終わって後、さてあまりに尋常な周圍をみまわす時の變にそぐはない心持をもう永い間經驗せずにゐたのだった。
然しそれまでだった。丸善の中へ入るや否や私は變な憂鬱が段々たてこめて来るのを感じ出した。香水の瓶にも、管にも、昔の樣な執着は感ぜられなかった。私は畫帳の重たいのを取り出すのさへ常に揩オて力が要るな、と思ったりした。それに新しいものと云っては何もなかった。たゞ少なくなってゐるだけだった。然し私は一冊づゝ抜き出しては見る、―そしてそれを開けては見るのだ―然し克明にはぐってゆく氣持は更に湧かない。
然も呪はれたことには私は次の本をまた一冊抜かずにはゐられないのだ。また呪はれたことには一度バラバラとやって見なくては氣がすまないのだ。それで堪らなくなってそこへ置く、以前の位置へ戻すことさへ出来ないのだ。―そうして私は日頃大好きだったアングルの紺色の背皮の重い本まで、尚一層の堪え難さのために置いてしまった。手の筋肉に疲労が殘ってゐる。―私は不愉快氣にたゞ積み上げる爲に引き抜いた本の群を眺めた。
その時私は袂の中の檸檬を思ひだした。 本の色彩をゴチヤゴチヤと積み上げ一度この檸檬で試して見たらと自然に私は考へついた。 私にまた先程の輕やかな昴奮が帰って来た。私は手當り次第に積みあげまた慌しく潰し、また築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり 削りとったりした。奇怪な幻想的な城郭がその度に赤くなったり青くなったりした。
私はやっと、もういゝ、これで出来たと思った。そして輕く跳り上る心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐るすえつけた。
それも上出来だった。
見わたすと、その檸檬の單色はガチヤガチヤした色の階調を、ひっそりと紡錘形の身體の中へ吸収してしまって、輝き渡り、冴えかへってゐた。私には、埃っぽい丸善の内の空氣がその檸檬の周圍だけ變に緊張してゐる樣な氣がした。私は事畢れりと云ふ樣な氣がした。
次に起こった尚一層奇妙なアイデヤには思はうずぎょっとした。私はそのアイデイアに惚れ込んでしまったのだ。
私は丸善の書棚の前に黄金色に輝く爆弾を仕掛にきた―奇怪な惡漢が目的を達して逃走するそんな役割を勝手に自分自身に振りあてゝ、―自分とその想像に醉ひながら、後をも見ずに丸善を飛出した。あの奇怪な嵌込臺(セツテング)にあの黄金色の巨大な寶石を象眼したのは正に俺だぞ!私は心の裡にそう云って見て有頂天になった。道を歩く人に、
その奇怪な見世物を早く行って見ていらっしゃい。と云ひ度くなった。今に見ろ大爆発をするから。―……ね、兎に角こんな次第で私は思ひがけなく愉快な時間潰しが出来たのだ。
何に(ママ)?きみは面白くもないと云ふのか。はゝゝゝ、そうだよ、あんまり面白いことでもなかったのだ。然しあの時、秘密な歓喜に充されて街を彷徨(うつろ)いてゐた私に、
―君、面白くもないぢやないか―
と不意に云った人があったとし玉へ。私は慌てゝ抗辯したに違ひない。
―君、馬鹿を云って呉れては困る。―俺が書いた狂人芝居を俺が演じてゐるのだ、然し正直なところあれ程馬鹿氣た氣持に全然なるには俺はまだ正氣過ぎるのだ。

そして私は思ふのである。 彼は何と現世的な生活の爲に恵まれてゐない男だらう。彼は彼の母がゐなければとうに餓死してゐるか、何か情けない罪のために牢屋へ入られてゐる人間なのだ。どんなに永く生きのびても必竟彼の生活は、放縱の次が燒糞、放縱−破綻−後悔−の循環小敷にすぎないのではないか。
彼には外の人に比べて何かが足りないのだ、いや與へられてゐる種々のものゝうちの何かヾ比例を破ってゐるのだ。その爲にあの男は此の世の掟がまもれないのだ。
私は彼が確かにこれこれのことはしてはならないのだと知ってゐることを―踏みしだいてやってしまふその氣持を考へて見るのだ。
一體私たちが行爲をする時は、それが反射的な行爲ではないかぎり―自分の心の中の許しを經なければ絶對にやれないものではないだろうか。
私はまた彼にこんな話も聞いてもらった。

友人等の下宿を轉々して、布團の一枚を貸して貰ったり、飯を半分食べさせて貰ったり、―そんな日が積ると私は段々彼等に気兼をしなければならなくなった。それでゐて獨りでゐるのが堪らない。結局は気兼をしながらも夜晩く友達の下宿の戸を叩いたり、―この男は此夜どうも私と一緒にゐるのが苦になるらしいな!とは思ひながらも、また一方どうも俺は此頃僻み癖が昴じてゐる樣だぞ!と思って見たり、樣々に相手の氣持を商量して、今夜の宿が頼めるかどうか探って見る。
―私は益々氣兼ねが昴じて来ると、益々私の卑屈なことが堪らなくなり、一そさっぱり自分の下宿へ皈ってみやう―とその晩(といふのは或晩の事)はとうとう自分の下宿へ向けて歩いて行った。とは云ふものゝ私の足はひどく澁りがちで ふとするとあの眞白い白川路の眞中で立留ったりした。
あの頃の私といふのは此頃考へて見ると神經哀弱だったらしい。身體も随分弱ってゐた。それで夜が寐つけないのだ―一つは朝、あんまりおそくまで眠ってゐる故もあった。然し寐つく前になると極(きま)って感覺器の惑乳がやって来るのだ。それはかなり健康になった此頃でもあるのだが、然しその時のは時間にして見ても長時間だったし、程度にしても随分深かった。
それに思い出したくないと思ってゐる家のこと、學校のこと、質屋のこと―別に思ひ出すまでもなくそれらの心勞は生理的なものになって日がな一日憂鬱を逞しうしてゐたのだが、それが夜になってさて獨りになってしまふと虫齒の樣にズキンズキン痛み出すのだ。私は然しその頃私を責め立てる義務とか責任などが、その嚴めしい顔を間近に寄せて来るのを追ひ散らすある術を知る樣になった。
何でもない。頭を振ったり、聲を立てるかすれば事は済むのだ。―然し眼近にはやって来ないまでも私はそれら債鬼が十重二十重に私を取り巻いてゐる氣配を感じる、それだけは畢竟逃れることは出来なかった。それが結局は私を生理的に蝕んで来た奴等なのだ。
それが夜になって獨りになる。つくづく自分自身を客観しなければならなくなる。私は横になれば直ぐ寐附いてしまふ快い肉體的な疲勞をどんなに欲したか。五官に訴えて来る刺戟がみな寐静まってしまふ夜といふ大きな魔物がつくづく呪はれて来る。感覺器が刺戟から解放されると、いやでも應でも私の精神は自由に奔放になって来るのだ。その精神をほかへやらずに、私は何か素張らしい想像をささうと努めたり、難しい形而上學の組織の中へ潛り込まそうと努めたりする。そして「あゝ氣持よく流れて出したな」と思ふ隙もなく私の心は直ぐ氣味のわるい債鬼にとっ捕まってゐるのである。私は素早く其奴を振りもぎってまた「幸福とは何やぞ!」と自分自身の心に乳房を啣ませる。
然し結局は何もかも駄目なのだ、ーその樣な循環小敷を、永い夜の限りもなく私は喘ぎ喘ぎ讀みあげてゆくに過ぎない。
そうしてゐる中には私の心も朧ろ氣にぼやけて来る―然しそれが明瞭に自認出来る譯ではないが。その證據には、仕事が閑になった感覺器の惡戲と云はうか、變な妖怪が此のあたりから跳梁しはじめる。ポオの耳へ十三時を打ってきかせたのも恐らくはこの輩の惡戲ではなかったらうか。不思議にも私には毎晩極った樣に母の聲がきこえた。何を云ってゐるのかは明瞭(はっきり)しないが、何か弟に小言を云ってゐるらしい。母はよくこせこせ云ふ性なのだが、何故かまた極った樣に毎晩そんな聲がきこえて来たのだらう。初め私にはそれが湛らなかった。―然し段々私はそれを喜ぶようになった。怪しくも慕しくもあった。何故かといへば、それは睡りのやって来る確實な前觸を意味してゐたからなのだ。時とすると私は呑氣にもその聲が何を一體言ってゐるのだらうと好奇心を起して追求して見るのだが、さてそれは大きな矛盾ではないか。
私の耳の神經が錯亂をおこしてゐるのに、私の耳がそれをきかうとあせるのだ。自分の齒で自分の齒に噛みつかうとしてゐる樣な矛盾。私はそれでも熱心になって聽耳を欹てる。私はその聲が半分は私の推測に從って来るらしい―といってそれもはっきりしないが、つまりはいつまで經ってもはっきりしないまゝでそれは止んでしまふのだ。私は何と云っていゝかわからない樣な感情と共に取殘されてしまふ。
そんなことから私は一つの遊戯を発見した。それもその頃の花火やびいどろの悲しい玩具乃至は樣々な悲しい遊戯と同樣に私の悲しい遊戯として一括されるものなのだが、これは此頃に於ても私の眠むれない夜の催眠遊戯である。
げきとして聲がないと云っても夜には夜の響きがある。とほい響きは集ってぼやけて、一種の響を作ってゐる。そしてその間に近い葉觸れの音や、時計の秒を刻む音、汽車の遠い響や汽笛も聞える。私の遊戯といふのはそれらから一つの大聖歌隊を作ったり、大管弦樂團を作ることだった。
それは丁度ポンプの迎へ水といふ樣な工合に夜の響のかすかな節奏(リズム)に、私のほうの旋律(メロデイー)を差し向けるのだ。そうしてゐる中に彼方の節奏(リズム)は段々私の方の節奏(リズム)と同じに結晶化(クリスタライズ)されて来て、旋律が徐々に乗りかゝってゆく。
その頃合を見はからってはっと肩をぬくと同時にそれは洋々と流れ出すのだ。それから自分もその一員となり指揮者となり段々勢力を集め この地上には存在しない樣な大合唱隊を作るのだ。
この樣な譯で私が出来るのは私がその旋律を諳んじてゐるものでなければ駄目なので、その點で印象の強かった故か一高三高大野球戰の巻は怒號、叫喚、大太鼓まで入る程の完成だった。それに比べて、合唱や管げん樂は大部分蓄音器の貧弱な經驗しか持たないのでどうもうまくはゆかなかった。然し私はベートオーフエンの「神の榮光(エーレ・ゴツテス)……」やタンノイザーの巡禮の合唱を不完全ながらきくことが出来たし、ベートオーフエンの第五交響樂は終曲(フィナーレ)が一番手がゝりのいゝことを知る樣になった。然しヴアイオリンやピアノは最後のものとして殘されてゐた。
時によっては、獨唱曲を低音の合唱に演繹し、次にそれの倍音を捜りあて、たゞそれにのみ注意を集めることに依て私はネリイ・メルバが胸を膨らまし、テトラツチニが激しく息を吸込むのが彷彿とする程の効果を収めた。おまけに私は拍手や喝采のどよもしを作って喜んでゐた。然し全く出鱈目な中途でこれが出て来たりした。出鱈目はそれどころではなかった。寮歌の合唱を遠くの方に聞いてゐる心持の時、自分の家の間近の二階の窓に少女が現はれてそれに和してゐる、―そんな出鱈目があった。あまり突飛なので私はこの出鱈目だけを明瞭り覺えてゐる。
然し出鱈目は却て面白い。丸で思ひかけない出鱈目が不意に四辻から現はれ私の行進曲に参加する、又天から降った樣にきまぐれがやって来る、―それらのやって来方が實に狂想的で自在無碍なので私は眩惑されてしまふ。行進曲は叩き潰されてしまひ、絢練とした騒擾がそれに代わるのだ。―私はその眩惑をよろこんだ。一つは眩惑そのものを、一つは眞近な睡眠の豫告として。
感覺器の或亂は視覺にもあった。その頃私は晝間にさへそれを經驗した。
ある晝間、私はその前晩の泥醉とそれから―いやな放しだが泥醉の擧句宮川町へ行ったのだ―私はすっかり身體の調子を狂わせて白日娼家の戸から出て来た。
あの泥醉の翌日程頭の變な時はない。七彩に變はる石鹸玉の色の樣に、悠忽に氣持が變って来る。
胃腑の調子もその通りだ―なにか食べないではゐられない樣ないらいらした食欲が起る。私はその駄々っ子の樣な食欲に色々な御馳走を心で凝して見る。一つ一つ、どれにも首(かぶ)りをふらないのだ。それでゐて今にも堪ならない樣に喚く。
(私にはこんな癖がある。私が酒によふと、よく、酒をのむ私に對して酒に虐げられる私を想像する、そして私はこの犠牲者にぺこぺこ辭儀をしたり、惡いのはわかってゐるがまあ堪忍してくれと云って心の中で詫びたりそんなことをするのだ。)そう思って見ると私がこの括弧のありら側で、私の胃腑を擬人的に呼んでゐるのも萬ざら便宜のためばかりでもないのだ。―そこで虐げられた胃腑はもう醉の醒めた私にやけになって無理を云ひはじめる。
―若葉の匂ひや花の匂ひに充ちてゐる風のゼリーを持って来いとか、何か知らすかすかと齒切れのする、と云ってもそれだけではわからないが、何しろそんなものが欲しいのだとか。また急に、濁ったスープを!濁ったスープを!といひ出す。然し私がその求めに應ずべく行動を開始し出すと、あそこのは厭だなぁ!とか、もう嫌になった、反吐が出そうだ。とか―私は前夜の惡業をつづく後悔しながら白日の街の中程に立って全く困却してしまふのだ。
今注文したばかりの料理が不用になったり、食ひはじめても一箸でうんざりしたり、無茶酒の翌日と云へば私は結局何も食はずに夕方迄過すか、さもなければ無理やりに食ってお茶を濁すのが關の山なのだ。
英緒が空の雲の樣に、カメレオンの顔の樣に姿をかへ色を變へるのもその時だ。 英雄的な氣持に一時なったかと思ふと私はふと鼻緒に力が入り過ぎてゐるのに氣がつく―と思ってゐる間にも私の心は忽ち泣けそうになって、眼頭に涙をこらへる、お祭りの行列が近所を通る氣配の樣なものを感じるかと思へば―鴨川の川淀の匂ひにさへ郷愁と云った樣な氣持にひきこまれる。それでゐては、何か大きな失策をしてゐるのにそれが思ひ當らない樣な氣持になる。それはすえた身體から発酵するにはあまりに美しく澄んでゐて、いゝ音樂に誘はれでもしなくてはとても感ぜられない樣な泪ぐましい氣持である。
ともすればそのまゝ街上で横になり度い樣な堪らない疲勞と 腋の下を氣味惡く流れ傳って来る冷汗。酒臭い體臭やべとべとまつはりつく着物それは何といふ呪はれた白晝だ。
丁度その日も私はその樣な状態で花見小路の方から四條大橋の方へ、丁度二ひきの看板の下あたりまでやって来たのだ。その時私はふと、天啓とでも云ひ度い樣な工合に、ありあり弟の顔を眼の前に浮かべたのだ。然しそれが不思議なことには丁度五六年前の弟の顔だ、白い首からの前だれをかけて飯を食てゐる、どんな譯があるのか弟はしかめっ面をして泪をポロッポロッこぼしてゐる―その涙が頬から茶碗の中へ落ち込むのだ。然も一體どうしたと云ふのか弟は強ひられたものゝ樣にまた口惜しいまぎれの樣にガツガツ飯を食ってゐるのだ―今こそ私はその事實だけを覺えてゐるだけで弟の五年前の顔など思ひ出せはしないのだが、その時はその五年前ばかりが浮かんで来るのだ、いくら今の顔を思ひ出そうと努めてもその顔、然もその歪んだ顔が出て来るばかりなのだ。
一體何の因果だ!私はその日一日それが何を意味するのか、ひょっとして何かの前兆なのぢやないのかななどと思って悩まされ通したのだ。(私はその顔をもう一度その夜だったか、その翌晩だったか―例の精神の大禍時の幻視にそれを見た。)
何しろその頃は變なことがちよいちよいあった。ある時は京阪電車にのってゐて、私の坐ってゐる向側の、しめ切った鎧戸を通して、外の景色が見えて来た。一體私はその邊の風景をよく覺えてゐたのだが、それがまるで硝子越しに見てゐる樣に、窓の外の風景が後へ後へと電車の走るのにつれてすさってゆくのだ。大方私はクツシヨンの上で寐ぼけてゐたのかも知れない。然し氣がついて見ておどろいた。
とは云ふものゝ私一流にそれがまた享樂でもあったのだ。― 丁度その頃は百萬遍の錢湯で演じた失策談が友人の間で古臭くなってきた時分だった。私は直ぐそれを友人達に吹聽してまわった。
錢湯での失策といふのも確か泥醉の翌朝だった。私は湯から上って何の氣なしにそこにそこに備へてあった貫々にのって目方をはかって見たのだ。私は十三貫の分銅をかけておいて、目盛の上の補助分銅を動かしてゐた。その頃の私は量る度に身體の目方が減って来てゐたのだが、不思議にもその補助分銅は前の日の目盛を通り過ぎて百目二百目と減じてゆくのに―それをまた私は蟻の歩みの樣にほんの少しづゝ少しづゝ難しい顔をして動かしてゐたのだ、―三百匁四百匁とへらしてゐるのに片方の分銅の方は一向あがって来ない。私のその時の悲しさと怪訝の念を察して見るがいゝ、私は、もうこれは變だと、とうとう思ひ出したのだ。もう君にもわかってゐるだらう。私は貫々の上へ乗らずに板敷の上にゐたまゝそれをやってゐたのだ。
氣がついて しまったと思ふと同時に私は顔があかくなった。然し人がそれを見てゐなかったと氣が附いた後も、私は一切れの笑ひさへ笑へなかったのだ。―私は前と同じ、これは變だぞといふ疑をみじめにも私自身に向けなければならなくなったのだ。私の顔の表情が固くこびりついてしまった。私はその自分自身に向けられた疑ひが一落附(ひとおちつ)きするまで―それには一日二日かゝったのだが、友達一人にさへそのことは話せなかった。
―私はやっと一落附になってから、俺は變だと皆に觸れてあるいたのだが。 何しろこんな時代だ。逢魔が時の薄明りに出て来る妖怪は榮えたのに無理もないことは君もわかって呉れるだらう。
夜の幻視にもいろいろあった、然し幻視と云っても眼をあけてゐる時に見える樣なものでは決してなかった。 突飛なのだけは忘れない。 こんなのがあった。セザンヌの畫集の中で見る、繪畫商人かなにかのタンギイ氏の肖像がある時出て来た。その畫では日本の浮世繪を張りつけた壁の樣なものが背景になってゐて、人物は此頃文學青年がやってゐる樣に丸く中折の上を凹ませたのを冠り、ひげの生えた顔を眞正面にしてゐる。私はその人物が畫の中から立ち上がって笑ひ出すのを見たのだ。どうしてタンギイ氏の肖像などが出て来たのだらうか、何か拍手で私がそれを思出すと同時に、眼前に彷彿として来て、動き出したのぢやないか、―どうもそう思ふのが正當らしい。ー
幻視も不意に出鱈目にやり出すのだ。
こんなこともあった。
例のもやもやとした、氣持の混亂を意識し出した最中に、「今だ!!杖をつかんでうっつぶせになり深い渓谷を覗く樣な姿勢をして見ろ!」と不意に自分自身に命じたのだ。私は次の瞬間そうしてゐた。すると丁度私はヨセミテの大峡谷の切尖に身を伏せて下を眼下すときはさもあらうかと思はれた程、唯ならない胸の動悸と、私を下に引摺る樣にも思へる高層気流と、高い所から見下す時を眩暈を感じた。私は手品師がハッ!ハッ!と氣合をかけて樣々の不思議を現出せしめる樣に、やはりそのハッハッといふ氣合がどっからか聞こえて来る樣な氣持で寐床の上を海老の樣に跳ねて―奈落に陷ちる氣持やら何やら樣々の氣持を身内に感じたのもその頃の夜中の事だった。
君には多分こんな經驗があるだらう。―私の力ではそれがどうしても口では傳へることが出来ないのだが―若し君がそれを經驗してゐるのだったら、或はこの樣な甚だ齒がゆい言ひ方だがそれで、あゝそれそれ!と相槌を打って呉れるだらうと思ふ。
經驗しながら探ってゐると一度何かで經驗したことのある氣持であるにちがひないといふ氣がする、觸感からであったか、視覺からであったか、―それが思ひ當ればそれらを通してその氣持を説明出来るのだが、然し見す見すそれが思ひ浮かばないのだ。子供の時ではそれが風邪などで臥せってゐる時の夢の中へ出て来た。私が覺えてゐるのは―
涯しまない廣々とした海面だ、―海面だと云ふのは寧ろ要(かなめ)ではない、何しろ涯しもない、涯しもなく續いてゐる廣い廣いそれどこそ廣い―「ずーっと」といふ氣持、感じがそれなのだ、―それが刻々に動いてゐる樣でもあり、私が進んでる樣でもあり―遂にはそのあまりの廣芽が私のこころを壓迫し、恐怖させる樣にまでなる。
病氣の時の時の夢に見た經驗を私は醒めてゐtね、もう毎晩繰かへす樣になった。 同じやうなことは以前にもあった。―然しその頃はそれが單なる氣持の認識(?)では留まらない程の性惡なものになってしまってゐた。
却初から末世まで吹き荒ぶと云はうか、量りしられない宇宙の空間に捲き起る、想像も出来ない樣な巨大な颶風が私を取巻いて来たのを感じはじめる。それがある流れを作ってゐて、急に狭い狭い―それもまた想像も出来ない樣な狭さに收斂するかと思ふと再び先程の限りもない廣さに壙がるのだ。その變化の頻繁さは時と共に段々烈しくなり、收斂、、開散に併ふ變な氣持も刻一刻強くなってくる。 若しその時に自分自身の寐てゐる姿が憶ひ浮んで来ると、その姿はその流れの中に陷ち、その流の通りの收斂、開散をする。その大きさを思ふと實に氣味がわるい。ゴヤの畫に出て来る、巨男が女を食ってゐる圖や大きな鶏が人間を追ひ散らしてゐる圖 規模は小さいが ちょっとあれを見た時の氣持に似てゐる樣にも思はれる。
然し何も浮べないでもその氣持は、機械の空回り迴りと同じで 形の見えない、形の感じといふ樣なものゝおおきな空迴りをやってゐる。
私はそれが搗蛯オてゆくにつれて恐ろしくなって来る、氣が狂ひそうに、餘程しっかりしてないとさらってゆかれるぞと思ふ。―そしていよいよ堪え切れなくなると私は意識して あゝゝゝと聲を立てゝそこから逃れるのが習慣になってしまった。私は寐るまでには必ずそのアヽヽヽをやる樣になったのだ。
随分話が横にそれてしまったが、―これが今も云ふ精神の大禍時の話なのだ。
さて云った樣に、この樣な妖怪共は却て消極的な享樂にさへその頃は變へられてゐたのだ、―云った樣にその間だけでも私は自分の苦しい思ひ出から逃れられた譯だし、またそれが睡眠の約束であったからだ。
然しこれが仲々やって来ない、眞夜中過ぎて三時四時までも私は寐床の中で例の債鬼共の責苦にあはなければならないのだ。 そんな夜を、どうして私は自分の下宿の自分の部屋で唯一人過す樣なことが出来よう。
―こゝで私が私の下宿へ皈る所だったことを思ひ出して貰ひ度い、話はそこへ續いてゆく。
*
その當時私の下宿は白川にあった。私は殆ど下宿の拂ひをしなかった。それが、一學期に一度になったり、正確に云へば改悛期が来る迄滞らせておいた。
初め私の借金はその改悛期の法定期間といふ樣なものを勤めあげるかあげない裡にそろそろ始り出す。それが苦になる頃にはまず大きなかさになってゐる。 學校の缺席もその通りで、新學期のはじめ一月間は平氣で缺席する。そしてまだ平氣だまだ平氣だと云ってゐるうちにその聲にどうやら堆高いブランクの壓迫を捩じ伏せ樣とする樣な調子を帯びて来る。私は一日一日、自分の試み樣と思ふ飛躍の脛がへなへなとなってゆくのを―いまいましく思ふ。昨日が十の努力を必要とした樣な状態だとすると今日はまた一日遅れたゞきの十一の努力を必要とする。然し私はまだ自身を持ってゐる。然し一日勉強にとりかゝって見ると勉強といふものが實に辛い面倒なことだと思ふ、そして私の自信が少し崩されて私は不愉快な氣持でそれをやめて、次のベターコンデイシヨンの日を待つのだ。そうして私は藻がきながら這ひ出られない深みへ陷ちてゆく。そして段々やけの色彩を帯びて来る。
當時、私はもうその程度を超えてゐた。借金と試驗の切迫―私はそれが私の回復力に餘てゐることを認めてはゐながら然もそれに望みをかけずにはゐられなかった。何故と云ってそれまでに私は幾度をその樣な破産で母を煩はせてゐて、此度と云ふ此度はいくら私が厚顔しくてもそれが打ちあけられる義理ではなくなってゐたし、若しその試驗がうけられなければその學年は落第しなければならない然も前年に一度落第したのだからそれを繰返へす樣なことがあっては私は學籍から除かれなければならないのだ。
然しその重大な理由も私の樣な人間にとっては飛躍の原動力とはならなかった。それが重大であればあるだけ私の陷て込み方はひどくなり、私の苦しみはu々烈しくなって行った。
丁度木に實った林檎の一つで私はあった。虫が私を蝕むでゆくので他の林檎の樣に眞紅な實りを待つ望みはなくなってしまった。早晩私は腐っておちなければならない。然しおちるにはばだ腐りがまわってゐない、それまで私は段々苦しみを酷くうけながら待たなければならない。然し私は正氣でそれを被(う)けるには餘りに弱い。とうとうお終ひに私は腐らす力の方に加盟する、それと同時に自分自身を麻痺さゝなければならない。借金がかさんで直接に債務者が母を仰天さすまで、また試驗が濟んで確實に試驗がうけられなくなったことを得心するまで―私は自分の感情に放火(つけび)をして、自分の乗ってゐる自暴自棄の馬車の先曳きを勤め、一直線に破滅の中へ突進してそして椎けて見やう。始まれるものならそこから始めやう。―其頃私はそういふ風な狂暴時代にゐたのだ。
下宿はすでに私の爲の炊事は斷った。ひと先づ拂ひをして呉れ。そして私の前へ三ヶ月程の間の借金の書きものが突き出された。
そして下宿は私の部屋の掃除さへしなくなったのだ。
私が最後に下宿を見棄てた時、私の部屋には古雑誌だ散亂し、ざらざらする砂埃りがたまり寐床は敷っ放し、煙草の吸殻と、虫の死骸が枕元に散らかってゐる樣な状態だった、そして私は2週間も友人の間を流轉してゐたのだ。
そんな部屋へ其夜どうして帰氣など起こるものか。そんな夜更けに夜盗の樣に錠前をこぢあけ、帰って見た處で義務を思ひ出させるものに充滿し、汚れ切ってゐる寐床の中で直ぐ寐つける譯でもない。それにいつかの樣に布團の間で鼠が仔を産んでゐたりしたら。
私は病み且つ疲れてゐた。汚れと悔いに充されたこの私は地の上に、あらゆる荘嚴と豪華は天上に、―私はそんなことを思ふともなく思ひながら、眞暗な路の上から、天上の載冠式とも見える星の大群飛を眺めた。
〔「私のお母樣。」〕<この讀あひわるし。>〔<私は段々自分がいかに取るに足りない存在であるかといふ考へに導かれ>〕<決算の算盤から彈き出された自分>
私はその時程はっきり自分が濁りだといふ感じに捕へられたことはない。―それは友達に愛想盡しをされてゐる爲の淋しさでもなかったし、深夜私一人が道を辿ってゐるといふその一人の感じでもなかった。情ないとか、淋しいとかさの樣な人情的なものではなく、―何と云ったらいゝか、つまり状件的(コンデイシヨナル)ではない絶對的(アブソリユート)な寂蓼、孤獨感―まあその樣さものだった。私はいつになったらもう一度あの樣な氣持になるのかと思って見る。 その次に私は浮圖(ふと)母のことを思ひ出したのだ。私は正氣で母を憶ひ出すのは苦しい堪らないことだったのだ。然も私はどういふ譯かその晩は、若し母が今、此の私を見つけたならば、息子の種々な惡業など忘れて、直ぐ孩兒だった時の樣に私を抱きとって呉れるとはっきり感じた。―そしてそんなことをして呉れる人は母が一人あるだけだと思った。―私はその光景を心の中で浮べ、浮べてゐるうちに胸が迫って来て、涙がどっとあふれて来た。 ―私は生ける屍のフエージヤが、自分は妻に對して濟まないことをする度毎に妻に對する愛情が薄らいだと云ふ樣な意味のことを云ってゐるのを知ってゐる、私も友人や兄弟などにはその氣持を經驗した。丁度舟に乘った人が櫂で陸を突いた樣に、おさえられた陸は少しも動かず、自分の舟が動いて陸と距たるといふ風に―自分の惡業は超えられない距りとなってしまふ。然し母との間は丁度つないだ舟の樣なもので、押せば押す程、その鋼の強いことがわかるばかりなのだ。 然しそんな談理では勿論ない、―あとからあとから、悲しいのやら有難いのやらなんともつかない涙が眼から流れ出て来たのだ。 然しその頂點を過ぎると涙も收り氣持は浪の樣に退いて行った。 私は自分が歩むともなく歩んでゐたのを知った。心の中は見物が帰って行った跡の劇場の樣に空虚で、白々してゐた。身體は全く疲れ切って、胸はやくざなふいごの樣に、壊れてゐることが恐れではなく眞實であることをヘへる樣にぜいぜい喘いでゐるのだ。 あと壹丁程が、早く終ってほしい樣な、それでゐてまたそれと反對の心が私の中に再び烈しく交替した―然も私の足は元の通りぎくぢやくと迭(たが)ひに踏み出されてゐる。 何とまあ情ないことだ、此の俺が、あのじたばた毎日やけに藻がいてゐた苦しみの、何もかもの總決算の算盤玉から彈き出されて来た俺なのか。私は何だか母が可哀そうに思ってくれるよりもこの私自身がもう自分といふ者が可哀そうで堪らなくなって来た。 私はもう何も憤りを感じなかったし、悔ひも感じなかったし嫌惡も感じなかった。 そして深い夜の中で私は二人になった。
「お前は可哀そうな奴だな。」と一人の私が云ふのだ。も一人の私は默って頭をうなだれてゐる。
「一體お前のやったことがどれだけ惡いのだ。」
「あゝゝゝ。可哀そうな奴」 ……………………………… そして一人の私が大きいためいきをつくともう一人の私も微かにためいきをつく。 そして私は眼をあげた、ずっと先程から視野の中にあった筈の私の下宿を私ははじめて見た。 學生あて込みのやくざ普しんのバラツクの樣に細長くそして平屋の私の下宿を。 私には心が二人に分かれてゐたことの微かな後味が殘ってゐた。―ふとその時また私に悲しき遊戯の衝動が起こった。 此の夜更けに、此の路の上で此の星の下で、此の迷ひ犬の樣な私の聲が一體どんなに響くものなのだらうか。皺枯れてゐるだらうか、かさかさしてるのか知ら、冥府から呼ぶといふ樣な聲なのか知ら。―そう思ってゐるうちにも私は自分自身が變な怪物の樣な氣がして来た。私がこゝで物を言っても、たとへそれらが言ってゐる積もりでも、その實は何か獸が悲しんで唸ってゐる聲なのぢやないか―一體何故アと云へばあの片假名のアに響くのだらう。私は口が発音する響きと文字との關係が―今までついぞ疑ったことのない關係が變挺(へんてこ)で堪らなくなった。 一體何故と云ったら片假名のイなんだらう。 私は疑ってゐるうちに私がどういふ風に疑って正當なのかわからなくさえなって来た。 「(ア)、變だな、(ア)。」 それは理解すべからざるもので充たされてゐる樣に思へた。そして私自身の聲帶や唇や舌に自身がもてなくなった。 それにしても私が何とか云っても蓄生の言葉の樣に響くのぢうあないかしら、つんぼが狂った楽器を叩いてゐる樣に外の人に通じないのぢやないか知ら。 身のまわりに立罩めて来る魔法の呪ひを拂ひ退ける樣にして私の発し得た言葉は、
「惡魔よ退け!」ではなかった。 外でもない私の名前だった。
「瀬山!」 私は私の聲に變なものを味った。丁度眞夜中自分の顔を鏡の中で見るときの鬼氣が、聲自身よりも、聲をきくといふことに感ぜられた。私はそれにおっ被せる樣に再び
「瀬山!」と云って見た、その聲はやゝ高くフーガ(fuga)の樣に第一の聲を追って行った。その聲は行燈の火の樣に三尺もゆかないうちにぼやけてしまった。私は聲を出すといふことにはこんな味があったのかとその後味をしみじみ味はった。
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」 私は種々に呼んで見た。 然し何といふ變挺(へんてこ)な變曲なんだろう。 一つは恨む樣に、一つは叱る樣に、一つは嘲る樣に、一つ一つ過去(ママ)を持っており、一つ一つ記憶の中のシーンを蘇らしてゆく樣だ。何といふ奇妙な變曲だ!
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山!」今度は憐む樣に。 先程の第一の私と第二の私はまた私の中で分裂した。第一の私が呼びかけるその憐む聲に、第二の私はひたと首をたれて泪ぐんでゐた。
「瀬山!」第一の私の聲もうるんで来た。
「瀬山」………… そして第一の私は第二の私と固く固く抱擁しあった。私はもう下宿の間近まで来てゐた。 私はそこに突立った。つきものがおちた樣に。
「帰らうか、帰るまいか。」私はまた迷った。 然し私は直ぐ決心した。帰るまいと決心した。そのかわり私は不意に喚き出した。
「瀬山!」 友達の誰彼からも省みられなくなった瀬山極のために、私は深夜の訪客だ。
「俺はお前が心配でやって来たのだ。」
「瀬山君!」 私は耳を澄して見たが、その聲が消えて行った後には何も物音もしなかった。
「瀬山!」 畜生、糞いまいましい、今度は郵便屋だ、電報だ、書留だ、電報爲替だ、家から百圓送って呉れたのだ。
「澤田さん!電報! 瀬山さんといふ方に電報。」 私はヒステリツクになり聲は上釣って来た。そして下駄で玄關の戸を蹴り飛した。
「へい!」マキヤベリズムの狸親爺奴、おきて来やがったな。 私は逃足になって来たのを踏みこらへて、
「三五郎の大馬鹿野郎」 と喚いたまゝ、一生懸命に白川道えおかけ下りたのだ * 瀬山極の話は其所で終ったのではなかったが、然し私はその末尾を割愛しやう。 然し私は彼が當然の結果として今年も又落第したことをつけ加えておかねばならない。私は學校の規則として彼が除籍される爲に、彼が職業を捜す相談にも與った。 私はその中に東京へ来てしまった。 彼の最近の下宿へ問合わせを出したり、京都の友人に訪ねて見たりしたが、彼の行衞はわからなかった。ある者は復校したと云ひある者は不可能だと云った。私は彼の夢を二度まで見た。 それで心がゝりになってまた問合せを出した上、私の友達が徴兵で京都へ帰るのに呉々も言傳た。 そして最近彼の手紙がやっと私の許に屆いた。私が彼についてのことを書きかけたのはその手紙を受取ってからのやゝ輕い安緒の下にである。私は彼の手紙を讀んでゐるうちに彼の思出が繪巻物の樣に繰擴げられて行った。私はそれを順序もなくかき出した。然しいつまでもかいでも切りがない。私は彼の手紙の抄録をすることによって此の稿を留め樣と思ふ。