(二)元始女性は太陽であった    −『青鞜』発刊に際して−         らい てう        

 

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。  今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。  さてここに『青鞜』は初声(ウブゴエ)を上げた。  現代の日本の女性の頭脳と手によって始めてできた『青鞜』は初声を上 げた。  女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたるあるものを。  そして私は少しも恐れない。  しかし、どうしよう、女性みずからがみずからの上に更に新にした羞恥 と汚辱の惨(イタ)ましさを。  女性とはかくも嘔吐に価するものだろうか、(中略)  ああ、我が故郷の暗黒よ、絶対の光明よ。  自からの溢れる光輝と、温熱によって全世界を照覧し、万物を成育する 太陽は天才なるかな。真正の人なるかな。  元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。  今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のよう な蒼白い顔の月である。  私どもは隠されてしまった我が太陽を今や取戻さねばならぬ。  「隠れたる我が太陽を、潜める天才を発現せよ」、こは私どもの内に向 っての不断の叫声、押えがたく消しがたき渇望、一切の雑多な部分的本能 の統一せられたる最終の全人格的の唯一本能である。  この叫声、この渇望、この最終本能こそ熱烈なる精神集注とはなるのだ。  そしてその極るところ、そこに天才の高き玉座は輝く。  青鞜社規則の第一条に他日女性の天才を生むを目的とするという意味の ことが書いてある。  私ども女性もまた一人残らず潜める天才だ。天才の可能性だ。可能性は やがて実際の事実と変ずるに相違ない。ただ精神集注の欠乏のため、偉大 なる能力をして、いつまでも空しく潜在せしめ、ついに顕在能力とするこ となしに生涯を終るのはあまりに遺憾に堪えない。(下略)