まず、昭和のはじめは「四季の詩」が中心だったまろ。「四季」を中心に、西欧の主知的精神のうえで、理性と感性の調和をめざしたまろ。これで、叙情詩の伝統になったまろ。三好達治「クサ千里」中原中也「山羊の歌」立原道造「萱草に寄す」

「歴程」によった人々は、とくに傾向もなく、直接詩壇との交渉も少なく、それぞれの詩風を作りあげていったまろ。
金子光晴「落下傘」

戦後詩では「荒地」「列島」「櫂」などの詩誌が創刊されて、多様な活動が見られた。
谷川俊太郎「二十億年の孤独」石垣りん「略歴」

短歌

当時の歌壇の主流を占めていたアララギ派に新鮮な風を送ったのが、反アララギ派だまろ。 

俳句

新興俳句

客観写生に偏った「花鳥諷詠」から離れて、人間の生活や感情の新鮮な表現を求めたまろ。山口誓子「凍港」

<人間探求派>

俳句の中に人間性を追求したまろ。

                      

2年  1927年 金融恐慌
川端康成「伊豆の踊り子」
3年 1928年 中原中也「山羊の歌」「朝の歌」
4年  1929年 島崎藤村死去
中野重治「夜明け前のさようなら」「盲目の秋」
5年  1930年 宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」
三好達治「測量船」
6年 1931年 満州事変がおこる 
中野重治「中野重治詩集」
8年  1933年  谷崎潤一郎「春琴抄」
中原中也「山羊の歌」出版    
国際連合脱退
10年 1935年  島崎藤村「夜明け前」
中原中也「含羞」「一つのメルヘン」 12年
12年 1937年 日中戦争 
山本有三「路傍の石」
中原中也死去 
志賀直哉「暗夜行路」  
14年 1939年 太宰治「富嶽百景」
15年  1940年 種田山頭火死去 
日独伊三国同盟を結ぶ
17年 1942年  与謝野晶子死去
萩原朔太郎死去
20年 1945年 広島・長崎に原子爆弾が投下される
21年 1946年  日本国憲法を公布
28年 1953年 斎藤茂吉死去 
中原中也死去
31年 1956年 高村光太郎死去
国際連合に加盟
34年 1959年 高浜虚子死去
39年  1964年 三好達治死去 
東京オリンピック開催
50年  1975年 金子光晴死去
54年 1979年 中野重治死去
56年  1981年 堀口大学死去