概要 ページの先頭へ |
日本の小・中学生の中に、義務教育にあわない人がいることは、当たり前です。そこで、その人のためのその人にあった学校「フリースクール」は、そのような人の選択肢となることでしょう。
不登校とは ページの先頭へ |
今の義務教育は、改善されつつあるものの、画一化、均一化の方向があったり、いじめなど、問題も多数あります。人間関係、勉強の遅れ、自分で自分を抑制する力の欠如なども原因となって、一部の人にとっては「あわない」「行けない」ために一般に「不登校」、「登校拒否」と呼ばれる、学校へ行かない、行けない、行きたくない状況が生まれます。
これらの人は、不登校児と一般に呼ばれ、何とかして学校へ行かせようという方向で、改善を目指す動きが今までありました。しかし、全く登校拒否児は減らず、逆に増加しつづけています。これは、不登校を「悪い、反社会的な」行為とみなし、学校へ行かせることを治療だと思いこんできた大人や教育者、親にも原因があります。つまり、不登校は、「悪く」も、「反社会的」でもないのです。彼らは義務教育に適応できないでいるだけなのです。
「義務」教育? ページの先頭へ |
フリースクールについて見る前に、まずは、教育が本当に義務なのかを考える必要があります。教育を受ける権利というのは、「社会権」つまり、国家が教育を受ける権利を尊重し、機会を与えるというものだけではなく、「自由権」つまり、国民一人一人が勉強をする権利があるという側面があるのです。(未来の主権者を育てる「参政権」的な意義は、フリースクールとは関係が薄いので省略します)
そして、義務教育というのは、親が、その子女に「普通」教育を受けさせるというものであり、教育を受ける権利を守るためのものに過ぎません。子供には、責任がないのです。学校へ行かせることを川の本流にたとえれば、フリースクールへ行くという支流であっても、結果的に海に注げばそれで良いのです。
フリースクールとは ページの先頭へ |
フリースクールの意義 ページの先頭へ |
登校拒否や不登校児と呼ばれる人の多くは、自分の部屋にこもったり、テレビゲームや、テレビを見たりしてだらだらと過ごします。勉強のプリントなどを差し入れされても実際にそれをやる人はほとんどいません。
つまり、坊主憎けりゃ袈裟までにくいとばかりに、学校が嫌いになると勉強も嫌いになる人が増えるのです。それだけではありません、友達や先生、時には親までをも拒否し、社会との関わりを絶とうとする子供も増えます。その様な状況の中で、フリースクールは、子供と社会との接点になりうるのです。
期待される効果 ページの先頭へ |
新しい自分 教育改革国民会議で重視されると答申された個性、つまり今までの学校では出なかった、見つからなかった、押さえられていた新しい自分を見つけることができます。
生きる力 いわゆる「お勉強」だけが学問ではありません、自分の興味のある所を伸ばすことで生きる力がつきます。
自己責任 多くの学校では、自分で決めるということを行っています。カリキュラムやルールなどを決めるのです。これは、押し付けではないという意味での意欲を高める意義とともに、自分で決めたのだから守らなければという意識が働き、結果的に自己責任がとれるようになります。
フリースクールの問題点 ページの先頭へ |
フリースクールに、いくら18才まで毎日通ったとしても、高校修了にはなりません。中にはアメリカの高校と提携している所などもありますが、ほとんどの所が、塾と同じような扱いなのです。15歳までいた場合は、校長の裁量により、中学卒業になるかもしれませんが、あくまでも不安定なことには代わりありません。では、どうすればよいのでしょうか?
提案 ページの先頭へ |
参考ホームページ、その他 |
イカロス出版様「Next Stage」
<http://www.ikaros.co.jp/myschool/>
2000(2000年12月)
野並子どもの村様「野並子どもの村」
<http://dise.educa.nagoya-u.ac.jp/nonami/>
1999(2000年12月)
日本フリースクール協会様
「日本フリースクール協会」
<http://www2.ocn.ne.jp/~eisei/jfsa.htm>
2001 (2000年12月)
自由が丘学園様「オルターナティブスクール札幌自由が丘学園」
<http://www.sapporo-jg.com/>
2000(2000年12月)