先史、初期 前2000年期 前1000年期 →世界帝国時代 歴代の王 |
アッシリア帝国が栄えた土地には、旧石器以来人類が住んでいた。 前6千年紀には灌漑によって形成された村落が出現した。 また、前5千年紀には、ハッスナ、ハラフ、サーマッラーの3つの文化圏が確認されている。 前3千年紀の前サルゴン期には、膠着語を話す、定着原住民スバル人の上に東セム系遊牧民が支配的要素として加わった。 この時期、都市アッシュールが建設された。 アッカド王国時代にはサルゴン王らによって征服され、ニネベに神殿が建設された。 当時アッシリアは、シュメール語でシュビル、アッカド語でスバルトゥと呼ばれた。 |
前2000年紀は、古アッシリア時代とも呼ばれる。 この頃からアモル人の浸透を受けた。 主要都市としては、アッシュールの他にニネベ、ウルビルムなどが栄えた。 また、この頃書かれたアッシリア語は、同じアッカド語の主要方言であるバビロニア語とは著しく異なる独自のものだった。 前19世紀には、小アジアにアッシリア人の商業植民地カニシュやハットゥサが建設され、アッシュールと交易活動を行っていた。 政治では、シャムシ=アダド1世がアッシリアに初めて大きな政治的統一をもたらし、北メソポタミアのほぼ全域を支配した。 しかし、次世代にはバビロンのハンムラビ王によって征服され、以来フルリ人の侵入を受けていた。 前15世紀、アッシリアはミタンニ王国の属国となった。 しかし前14世紀の中頃、アッシュール・ウバルリト1世が登場、アッシリアは強い政治力を持つことになる。 彼はヒッタイト王と手を結び、1350年以降ミタンニを攻撃して北部メソポタミアを回復、富強な王国を復活させた。その後、自ら大王と名乗り、エジプトと対等に交渉、バビロニアの政治にも介入した。 また、王はスバルトゥと呼ばれていたアッシリアを「アッシュールの地」と命名した。 その後6代の間、アッシリアには優れた王が立ち、国力は発展、強国の地位を確立した。 前13世紀末、トゥクルティ=ニヌルタ1世の時代には、短期間だったがバビロンを支配した。 しかし次の代から、一部の成功(ティグラト=ピレゼル1世の地中海進出)を除き、アッシリアは西方諸民族(アラム人やルルビ族)の侵略に遭い、領土はティグリス川流域の狭い地域に収縮した。 |
前1000年紀初め頃、半遊牧民アラム人がアッシリアに侵略してきた。 アッシュールダン2世がアラム人や山岳民族を鎮圧、 次王アダドニラリ2世からは征服事業を再開する。また、彼は農業改革も行った。 その孫アッシュールナジルパル2世は、初の騎兵隊の導入により北方貿易路を確保、シリアなどを属国とし、小アジアの鉄、アマヌス山脈の銀、レバノンの杉を手に入れた。これにより、アッシリアは古代オリエント有数の大帝国となった。また、王は反乱住民に対する残虐な行為(串刺し、皮剥など)、大量強制移住政策などを行い、アッシリアは「アッシリアの狼」の名で知られた。しかしこの王は、バビロンに対しては武力攻撃をあまり行わず、周辺の先進地域との交易・文化交流を進めた。またカラク(ニムルド)を再建して首都とし、帝国の文化センターとした。 次王シャルマネゼル3世は、さらに領土を広げた。優秀な役人達は、優れた行政事務で新たな征服地を治めた。 しかし、王の死後数十年間、アッシリアは衰退期を迎え、それまで属国であった北方領土の大部分とシリア全域を失うことになる。 |
●世界帝国時代● | |||
ティグラト=ピレゼル3世は、軍事クーデターによって王座を手にした後、軍政の大改革や軍備改善、大都市の免税特権の廃止などの内政改革を行い、大遠征を行った。
その次からの4代(サルゴン2世、センナケリブ、エサルハドン、アッシュールバニパル)の時代はサルゴン朝と呼ばれる。この間、約90年「世界帝国」の名は守られた。特にエサルハドンの時代には、領土はイラン西部からエジプト本土全域にまで及んだ。
前614年にアッシュールが、 前612年にニネベとカラクが陥落。 アッシリアは前609年に滅亡した。
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