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南アフリカ共和国は、白人の黒人への人種差別を法律によって認め、強制してきたなどきわめて特殊な国と言えます。
この国では、全人口の4分の3を占める黒人には選挙権が与えられず移住地域も制限されていました。このアパルトヘイト(人種隔離政策)と呼ばれる差別政策は、国際社会の世論の力と黒人解放運動の指導者ネルソン・マンデラ氏と白人政府の最後の大統領に就任したフレデリク・デクラーク氏によって1991年に完全撤廃されました。しかしながら、長年の歴史からの敵対感情はきわめて根深く、経済格差も是正されていないのが現状です。
南アフリカ共和国は1934年に独立を達成しました。その後、1948年にアパルトヘイトをスローガンに掲げる白人系の国民党が政権に就いてからは、今日に至るまで根深く残る黒人への人種差別が一層加速していきました。
1959年に国民党政権は国内のアフリカ人を細分化して10の指定地(ホームランド)に強制的に移住させるというバンツースタン政策を導入しました。この政策は、国土の13パーセントという狭い土地に白人より圧倒的に人口の多い黒人を押し込めるための政府の差別措置だったのでした。
このような差別政策に対して、国際社会は強く非難をし続けました。政権は、非難をかわす目的で各ホームランドを独立させることを決定しましたが、国際社会はこれを認めませんでした。
その後、国内の黒人も白人政府への反発を強め、1976年に同国最大の黒人街ソウェトで暴動を起こし、国内全土へ波及させていきました。それに合わせて、政府によって非合法化されていた黒人組織アフリカ民族会議(ANC)も1970年代から武力闘争を強化させていきました。
1984年に再び黒人による暴動が発生すると、政府は1986年に国内全土に非常事態宣言を出しました。しかし、先進諸国からの非難や経済制裁、国内の反政府運動の高まりによって本格的な政策の変更を余儀なくされてしまったのです。
1989年、対黒人強硬派であるボタ大統領の辞任によってデクラーク氏が大統領に就任しました。その後、政府は人種融和に即座に取り組みました。まず、デクラーク大統領は、終身刑で服役中だったANCの指導者マンデラ氏を釈放します。また1991年には、アパルトヘイトの根幹法である人種登録法、集団地域法を全廃しました。その後、マンデラ氏は、合法化されたANC議長としてデクラーク大統領と協力しながら民主的な改革に取り組みました。
民主化へのプロセスは、決して簡単なものではありませんでしたが、その後、黒人にも参政権が与えられ、1994年に初めての全人種参加による選挙が実施されました。その結果、ANCが圧勝し、マンデラ氏が黒人初の南アフリカ大統領に就任しました。アパルトヘイトの崩壊によって国際社会からの経済制裁は全て解除されました。また、1993年には、マンデラ氏とデクラーク氏がノーベル平和賞を受賞しました。
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