インド人の女性に見られるおでこの点の化粧「ビンディー」は数字の0"ゼロ"を意味しています
数学  ―0の発見―


現在私たちが使っている数字はインドに起源があります。ゼロという画期的な数も、インドで生まれました。ゼロは、数の大きさを表すと同時に、位取りの空位を表す記号としての役割もしています。インドでは「位取り記数法」(「インド記数法」)が15、6世紀ごろに生まれました。これは、私たちが今使っている1,2,3,…という数字を使って数を書き記す方法です。では、「位取り記数法」が生まれる前はどんな記数法が使われていたのでしょうか。例えば、中世の終わりごろまでヨーロッパでは「ローマ記数法」というものが使われていました。これは
1->I    5->V    10->X     50->L
100->C    500->D   1000->(I)
という数字を並べて数を表します。例えば

2759は、
(I)(I)DCCLIX
108は
CVIII

と表すことができます。
しかしこの「ローマ記数法」で大きな数字を表そうとすると、大変長くなり読みづらくなります。これに比べ「位取り記数法」では0から9までの10個の数字を並べるだけでどんな大きい数でも表せるため、大変便利な方法です。他にも「インド記数法」の便利な点は数字を紙に書いて、紙の上で計算できるという点で
す。(筆算)例えば



「ローマ記数法」は、「位取り記数」ではないので、紙に書いても、計算できないのです。

ゼロという数の起源には、インドの宗教的側面と同時に、インドの哲学が反映されています。インドでゼロを意味する言葉はサンスクリット語のシューニアです。シューニアとは文字通りには何も無いということ、「空(くう)」や「無」を表しています。「空」を象徴的に表すものが、ビンディー、すなわち「点」です。インドの女性が額に点を付けているように、今でもそれは、化粧の一部になっています。このビンディー、すなわち「点」は「穴」へと変化しました。そして、この「穴」は、一種の世界観を表すものとなります。例えばその一つが、人間は全て、この「穴」の中にいるという考えです。「救い」とは、「穴」から抜け出ることだと考えられました。ゼロが無くては、1 - 1さえ計算できません。インドの宗教と哲学から誕生したゼロは、数の世界に全く新しい道を開きました。

インドとIT産業


 インド人が民族的/歴史的に数学に強く、ITに必要とされる理数系思考能力の基本的な高さはご理解いただけたでしょうか。しかしインドのIT産業を支えるのは国民性だけではありません。インドの現状のパソコン普及率は1000人に3台といわれています。しかし、インドでは
NIITといったようなIT企業が企業の社会貢献活動としてITの普及を目指し、子供たちにパソコンを解放したり、IT技術の職業訓練高校を建設したりしています。アメリカに進出し利益をあげたインドの企業はアフリカからアメリカに進出した企業とは違い、海外で得た利益を国内に持ち帰り、NIITのようにインドの発展に役立てているところが多いということがインドのIT事情の最大の特徴だと言われています。このような企業の考え方や政府の長年の技術者育成方針もありしっかりとITはインドに根付いていると思われます。いまやインドのIT技術者は34万人を越え、今後は毎年11万人のペースで増加するだろうといわれ世界各国の企業が安くて技術力の高いインド人技術者を求めて争奪戦を繰り広げています。
 海外に進出し、世界で有数の金持ちを生み出してきたインドですが、いまだに2億5千万人にもおよぶ貧困層を抱える国でもあります。インドのナラヤン大統領が「Digital Devide(IT技術による格差の拡大、情報格差)はインドの最も深刻な問題になる」と語るように、IT技術の発展がインドの貧富の差をさらに拡大させてしまうことが懸念されています。このことから2000年11月に政府はNIITの協力を得て貧困地区に無料でコンピューターを設置するなどといった試みを始めています。インドが真のIT国家としてなりたつにはインド全体の貧困問題や貧富の差をいかにして解消していくかが課題となっていくでしょう。
今インドでは子供たちにITの希望が向けられている