主な宇宙探査機・人工衛星の紹介
ルナ2号 (Luna 2)
1959年、はじめて月 の表面に突入しました。 (旧ソビエト連邦)
ルナ3号 (Luna 3)
1959年、はじめての裏側の写真を撮影しました。 (旧ソビエト連邦)
マリナー2号 (Mariner 2)
1962年12月、はじめて金星への接近に成功しました。 この探査機の観測結果から、金星がおもに二酸化炭素からなる大気と厚い雲に 囲まれていることと、金星の表面が非常に高温(当時の観測結果では摂氏約 480度、現在では約530度とされています)であることが確認されました。
マリナー3号 (Mariner 3)
1964年11月5日に打ち上げられましたが、地球軌道から火星へと向かう軌道 に投入されたときに防護カプセルの切り離しに失敗しました。その結果、 太陽電池に太陽光が届かず、すぐに蓄電池の電力がなくなって機能を停止 しました。現在は太陽を中心とする軌道を回り続けています。この探査機は マリナー4号とともに火星に接近して観測を行う 予定でした。
マリナー4号 (Mariner 4)
マリナー3号の姉妹探査機。こちらのほうは1965年に実際に 火星に到達して初めての火星表面のクローズ アップ写真(全部で22枚)撮影に成功しました。この際の観測から、 火星表面がクレーターで覆われていること、火星の大気がそれまで考え られていたよりもずっと薄いことがわかりました。このことから、多くの 科学者たちは、火星が地質学的にも生物学的にも死んだ星であるとの結論 を下しました。
マリナー9号 (Mariner 9)
打ち上げに失敗したマリナー8号の姉妹探査機。1971年にはじめて 火星の回りを周回する探査機になりました。 火星表面にある巨大な火山を発見したり、かつて水が火星表面を流れて いた証拠である深い渓谷が存在することを示すなど、赤い惑星と呼ばれる 火星に関する初めての観測結果を次々と地球に送信してきました。また、 火星の2つの衛星であるフォボスと ダイモスのクローズアップ写真もこの探査機 によって初めて撮影されました。
アポロ (Apollo)
1969年から1972年にかけて6回の有人月着陸 を行い、月の土を地球に持ち帰りました。
ルナ16号 (Luna 16)
1970年に無人で月に着陸し、月の土を地球 に持ち帰りました。(旧ソビエト連邦)
パイオニア10号 (Pioneer 10)と パイオニア11号 (Pioneer   11)
パイオニア10号は、1973年、初めて木星 に接近した探査機です。パイオニア11号は11号 に続いて1974年に木星に接近し、さらに1979年には初めて土星への接近にも 成功しました。パイオニア10号と11号は小惑星帯と木星の強い磁気圏を 通過しても正常な機能を失わないことが可能かどうかを調べることも 重要な任務の一つでした。小惑星帯の通過は問題となるような危険は ありませんでしたが、木星の磁気圏にとらえられたプラズマ粒子には あやうく衝突してダメージを受けるところでした。この際の観測データ はボイジャー計画の成功に欠かせない貴重な データとして活かされました。

パイオニア10号と11号に搭載された発電気の電力は次第に低下してきている ものの、どちらの探査機もまだ正常に機能し続けており、探査機から送信さ れる電波はいまだに地上で受信されています。ただし、パイオニア11号 は、搭載されたどの科学観測機器を動作させるにも十分な電力を発生させること ができなくなりました。そのため、今後は定常的な運用は行われないでしょう。 しかし、低電力の状況下での電子機器の性能を調べるため、定期的に 技術的なデータは取得されることになっています。パイオニア10号は 現在でも貴重な科学データを取得し続けています。

太陽系の外へと向かうはじめての探査機として、パイオニア10号と11号には 金でメッキされた縦 15.2 cm 横 22.9 cm の大きさのアルミニウムの 銘板が 機体にボルトで取り付けられており、そこには地球外知的生命体に遭遇した 場合を想定して人類からのメッセージが刻まれています。

マリナー10号 (Mariner 10)
いったん金星に接近し、金星の重力を効果的 に利用して1974年初めて水星に到達しました。 金星に接近した際、紫外線カメラを用いてマリナー10号以前に撮影されたこと のない金星の厚い雲の細かな様子の撮影に成功し、金星の雲が4日で金星 表面を1周していることを明らかにしました。マリナー10号は1974年から 翌年にかけて姿勢制御用の燃料を使い果たすまでに全部で3回水星への 接近を繰り返しました。この観測によって、水星の表面が無数のクレーター で覆われていること、質量がそれまで考えられていたよりもかなり重い ことが明らかになりました。このことを説明するため、水星の中心部には 水星の質量の75%を占める鉄のコア(内核)があると考えられました。
ベネラ7号 (Venera 7)
1970年、金星の表面から観測データを地球に送信 してきました。地球以外の惑星の表面から観測データを地球に送ってきた のはこの探査機が初めてでした。
ベネラ9号 (Venera 9)
1975年、金星に初めて軟着陸をし、金星表面の 写真映像を撮影しました。地球以外の惑星に軟着陸したのはこの探査機が 初めてです。(旧ソビエト連邦)
パイオニア・ビーナス (Pioneer Venus)
1978年、金星の回りを周回する軌道船から4つ の観測船を切り離し、金星表面の高品質な初めての地図を作成しました。
バイキング1号 (Viking 1)
バイキング1号は米国フロリダ州にあるケープカナベラル空軍基地から1975年 8月20日にタイタン3E−ケンタウルスD1ロケットによって打ち上げられ ました。1976年7月19日に火星軌道に到達、翌20日には着陸船がクリス高原 の西の斜面に軟着陸しました。着陸船は軟着陸後すぐに火星に微生物が生息 するかどうかの調査を計画通り開始しました−この調査の結果の解釈に ついては、いまだに火星に生命が存在しているかどうか議論が別れています。 また、着陸船から送られてきた着陸船周囲のカラーパノラマ写真は世界に 衝撃を与えました。それまで火星の空の色は暗い青色と考えられて いましたが、バイキング1号の送ってきた写真の空はピンクがかった色 をしていました(空の色がピンクがかっているのは、火星の赤い細かな 土が塵となって薄い大気中に漂い、それが太陽の光を反射させている ためだと考えられています)。
バイキング2号 (Viking 2)
バイキング2号は1975年9月9日打ち上げ、1976年8月7日に 火星軌道に到着しました。軟着陸船が ユートピア高原に着陸したのは1976年9月3日でした。バイキング2号 の行った観測はバイキング1号の観測とほぼ同じですが、バイキング1号 では正常に機能しなかった地震計の観測も順調に行われ、『火震』が1回 記録されました。

バイキング1号の着陸船からの信号は1982年11月11日を最後に途絶えてしまい ました。その後、6ヵ月半にわたってバイキング1号の着陸船との交信を再開 させる試みが続けられましたが、1983年5月21日に計画は正式に終了となりました。

バイキング1号の着陸船は、その後着陸船画像処理チームのリーダーとしての功績 をたたえてトーマス・A・マッチ (Thomas A. Mutch) 記念観測所と名づけられ ました。観測所の名前を示す銘板は、将来の有人火星探査のときに着陸船に 取り付けられることになっており、それまでの間は米国ワシントンDCの 国立航空宇宙博物館に大切に保存されています。

ボイジャー1号 (Voyager 1)
ボイジャー1号は1977年9月5日に打ち上げられ、1979年3月5日に 木星のそばを通過、1980年11月13日に 土星のそばを通過しました。ボイジャー 2号は1977年8月20日に打ち上げられ、1979年8月7日に 木星のそばを通過、1981年8月26日に 土星、1986年1月24日に 天王星、1989年8月8日に 海王星のそばをそれぞれ通過しました。 ボイジャー2号が4つもの外惑星に次々と接近して観測を行うことが できたのは、4つの惑星の位置の組み合わせが絶妙だったためで、 このようなチャンスは計算によると189年に1度しかありません。 ボイジャー1号は土星のそばを通過するときに最適な軌道を選んで やれば冥王星へと向かう軌道に乗せることも 可能でしたが、ジェット推進研究所は冥王星の観測を行うかわりに 土星の衛星ティタンにできる限り接近して観測を行うことを優先しました。

ボイジャーの2つの探査機により、4つの巨大惑星(木星・土星・天王星・ 海王星)とその衛星や環に関する私たちの知識は飛躍的に深くなりました。 まず、木星の大気の複雑な運動の様子が明らかになり、雷や オーロラも確認されました。また、木星に 3つの衛星が新しく発見されました。さらに、木星に環があることが発見された ことと、木星の衛星イオに硫黄を成分に含む活火山の活動が確認されたことは 世界中の人々を驚かせました。イオの火山活動は木星の磁気圏の状態にも 深く影響を与えていることもわかりました。

土星への接近のときには、土星の環が1000本を超える細い帯状の環から なっていることと、7つのそれまで知られていなかった衛星が新たに 発見されました。そのうちのいくつかの衛星は土星の環を重力的に安定 な状態に保つためにボイジャーが土星に接近する前から存在が予測されて いた衛星で、そのような衛星は『シェパード衛星(羊飼い衛星)』と 呼ばれます。土星の大気の動きは木星に比べるとおとなしく、巨大な ジェット気流が乱れることなく流れています。33年の周期で大白斑と 白い帯が交互に現われる現象が知られています。土星の衛星 ティタンの大気は透明度が低くよどんで いました。また、別の衛星ミマスには隕石 の衝突でできた大きなクレーターがひとつあり、映画『スターウォーズ』 に出てくるデススターにそっくりです。土星の環に発見された不思議な 構造‥2本の環がからまりあっていたり、環がねじれていたり、土星の 中心から放射状に濃淡の模様が見られたり‥はいまだにどのようにして 形成されたのか明確な説明が与えられていません。

ボイジャー2号 (Voyager 2)
ボイジャー2号は、宇宙技術の粋の限りを結集して、木星と土星に続いて さらに天王星、 海王星へと航海を続けました。天王星は一見単調な色で模様もなく のっぺりとしていました。しかし、目に見えない不思議な性質を持って おり、天王星の回転軸は完全に横に傾いていますが、磁気軸はその回転 軸からもおおきくずれて傾いていることがわかりました。そのため、 天王星の磁気圏は特殊な構造をしています。天王星の衛星 アリエルと ミランダの表面はどちらもいろんな地形が継ぎはぎに組み合わされた ような奇妙な性質をもっていることもわかりました。ボイジャー2号が 天王星に接近する前から天王星には環があることがわかっていましたが、 ボイジャー2号の接近によって新たに1本の環と10個の新しい衛星が発見 されました。

天王星とは対照的に、海王星の大気の運動は活発で、無数の雲の形も はっきりと確認されました。ボイジャー2号が観測を行うまでは、海王星 には断続的に途切れ途切れの環があるのではないかとされていましたが、 じつはこれは1本につながった完全な環で、ところどころが斑点状に太く なっているのだということがわかりました。また、新たに2本の環と6個 の衛星が発見されました。海王星の磁気軸もまた傾いていました。海王星 の衛星トリトンの表面にはマスクメロンの ような模様と液体の噴出する間欠泉のような地形が発見されました。 (絶対温度38度の世界で液体でありえる物質とはいったい何でしょう?)

もし今後もボイジャーが順調に飛行を続ければ、2つの探査機との交信 は2030年ころまでは十分続けることができそうです。燃料である ヒドラジンはまだ十分に残っています‥ボイジャー1号は2040年まで、 ボイジャー2号は2034年まで姿勢を制御することが可能です。ただ、 ボイジャーがいつまで観測を続けることができるかはRTG (RTG : Radio-isotope Thermalelectric Generator ‥ 放射性同位 元素から発生する熱を利用した発電機)と呼ばれる発電機の出力が いつまでもつかにかかっています。2000年までにはUVS(UVS : Ultra-Violet Spectrometer ‥ 紫外線分光装置)が必要とする電力は 供給できなくなり、2010年までにはすべてのセンサーの電源を同時に 入れておくことができなくなります。そのときには、搭載されている センサーのうちのいくつかの電源を切ったり入れたりして時間を 区切って観測を行うようになります。このようにして10年間程度は 観測を継続することはできますが、その後は電力が不足して探査機を 正常に機能させることはできなくなるでしょう。

ジオット (Giotto)
ジオットは1985年7月2日にアリアン1型ロケットによって打ち上げられた ESA(欧州宇宙機構)の探査機で、1986年3月13日に ハレー彗星の中心核から540±40kmにまで 接近しました。ジオットにはカラーカメラを含めて10種類の観測装置が 搭載され、探査機がハレー彗星に最も近づく寸前に地上との交信が一時的 に途絶えてしまうまでの間観測データを地上に送信し続けました。ジオット の観測装置はハレー彗星に接近した際、彗星を囲んでいる塵粒子が高速度 で探査機に衝突したため大きなダメージを受け、観測終了後にはすべての 観測装置のスイッチが切られました。

1990年4月、ジオットの観測装置にふただび電源が投入されました。 10個の観測装置のうち、3つは正常に機能していること、4つの観測 装置は一部に障害があるものの使用が可能であること、そしてカメラを 含む残りの3つの観測装置は使用できないことが確認されました。 1990年7月2日、地球に接近し、軌道を変えて7月10日 グリッグ−スキエレラップ彗星に接近して観測に成功しました。

クレメンタイン (Clementine)
米国国防総省弾道ミサイル防衛局(かつての戦略防衛構想局)と 米国航空宇宙局(NASA)の共同計画により、ローレンスリバモア 研究所で開発されたセンサーの機能確認のために打ち上げられました。 探査機は海軍研究所によって設計・制作され、1994年1月25日に 月を周回する楕円軌道に向けて打ち上げ られました。クレメンタインは月の表面からの距離を425kmから 2950kmに変化させながら、2ヶ月にわたって詳細な月の地図の作成 の任務を果たしました。探査機に搭載された観測機器のなかには 紫外線から赤外線までをカバーする画像取得装置が含まれており、 その中には月の中緯度地域の高度を測定 することも可能な画像ライダーも あります。1994年5月始めには小惑星 1620 ジオグラフォスに接近して観測を行うための軌道に投入されて 月を周回する軌道から離れることになっていましたが、機器の故障 が発生したため軌道の修正は成功しませんでした。しかし、その後 の努力によってクレメンタインの操作はふただびできるように なりました。今後のクレメンタインの観測計画は現在検討されいる ところです。
マーズ・オブザーバ (Mars Observer;火星観測機)
火星表面を1画素あたり1.5mの高解像度カメラを搭載した火星軌道船で 1992年9月25日にタイタン3型ロケットによって打ち上げられました。 1993年8月21日、火星を周回する軌道へ軌道変更するための準備をして いる際、突然地上との交信ができなくなりました。しばらく交信を回復 させるための努力が続けられましたが、ついに計画は断念されました 。マーズオブザーバが予定していた観測計画は 1996年11月に打ち上げられる予定の マーズグローバルサーベイヤー (Mars Global Surveyor;火星地表測量機) によって引き継がれることになっています。
マゼラン (Magellan)
1989年5月に打ち上げられたマゼランは、 金星表面の98%をカバーする地図を300mよりも細かい解像度で 作成し、金星の表面の95%をカバーする領域の重力分布を詳細に 調べました。主要な任務を終了したのち、80日間にわたる大気 ブレーキプログラムを実行し、軌道を円軌道に近づけながら 軌道高度を下げました。1994年の秋、太陽電池パネルの劣化によって 十分な電力が供給できなくなるまえに、故意に金星大気への突入を 指令し、大気ブレーキのためのさらに詳しいデータの収集を行いました。 このテクニックは、将来の惑星探査ミッションで燃料を大幅に 節減するのに大きく寄与する可能性をもっています。

スプートニク1号 打ち上げ

今から40年前の1957年10月4日に旧ソ連から打ち上げられたスプートニク1号は、世界初の人工衛星として地球を回りました。それは重さが83.6キログラムという小さなもので、もちろん人は乗っていない無人の人工衛星でした。
 一方、アメリカ合衆国は旧ソ連に4ヶ月近く遅れて、1958年1月31日に重さ14キログラムのエクスプローラー1号の打ち上げに成功しました。そして、この年の729日に有名なNASA(アメリカ航空宇宙局)が設立 されました。


ヴォストーク1号 打ち上げ

無人の人工衛星の打ち上げと衛星軌道投入に成功したアメリカ合衆国と旧ソ連は、次に人間が乗る有人人工衛星の計画を進めていました。そして、1961年4月12日、旧ソ連はガガーリン宇宙飛行士が乗ったボストーク宇宙船の打ち上げに成功しました。人類初の宇宙飛行士となったガガーリン飛行士の「地球は青かった」という言葉はあまりにも有名です。