「生まれ故郷の大和町にて 稲刈りの終わった田んぼと七つ森を背景に」
 
 

●略歴
1912年 宮城県黒川郡落合村(現大和町)舞野に生まれる。
1917年 伊具郡丸森町の父の実家へ移る。
1919年 前年父が死去したため、母、弟とともに北海道夕張へ移る。
     以後、小・中学校を北海道で過ごす。
1932年 絵画勉強のため上京。西欧近代彫刻に接するうちに彫刻家    
     を目ざすようになる。
1934年 東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科に入学。
1939年 卒業と同時に、新制作派協会彫刻部の創立に参加。
1944年 召集され、満洲に配属される。翌年終戦を迎え、3年間
      シベリアに抑留される。
1952年 この年新制作展に出品した「群馬の人」が高い評価を受け、    
     翌年国立近代美術館に収蔵される。
1974年 第15回毎日芸術賞を受賞。芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1981年 フランス国立ロダン美術館の招請で個展を開催。フランス・    
     アカデミー・デ・ボザールの客員会員に推挙される。
     帰国展「ブロンズの詩・佐藤忠良展」が全国9会場で開催。
1984年 ローマ・アカデミア・ディ・サン=ルカの会員に推挙される。
1990年 宮城県美術館に佐藤忠良記念館が開設。