知っているようで知らない、そんな源氏物語の筆者、紫式部について紹介します。
1)出生
「源氏物語の筆者で、有名なんだから、絶対詳しくのっているはず!」そう思っていた方には言いにくいのですが、
実は紫式部の出生については詳しくわかっていないのです。
今の所、有力とされている説が、
今井源衛氏の970年説と岡一男氏の973年説です。
また、紫式部の幼年時代について詳しく記してある資料はまだありません。
しかし、「源氏物語」の中に書かれている内容を見ると、
中国文学(史記、白楽天など)の影響が濃く見え、紫式部が幼年時代、
それらの文学を読んでいたことは明らかだとわかります。
2)結婚生活
998念に越前から帰郷した紫式部は藤原宣考と結婚しました。
このとき、紫式部は20代後半、宣考は40代前後と推測されています。
宣考は、中流階級の官人で、正五位下中宮大進にいたりました。
二人の出会いは、いとこ同士であったこともありますが、紫式部の
父、為時と宣考は以前より知り合いであったこととが大きく関係しています。
しかし、1001年、夫、宣考はなくなってしまいます。
その結婚生活はわすが2年でありました。
3)源氏物語
執筆・時期は出生とおなじく、不明で、本当のところ、彼女が書いたということすらも明らかではないという意見もあります。
4)晩年
1013年あきまでは、日記から出仕が続いていたことが分かりますが、その後の消息は不明です。
そして1014年、春ごろ、彼女はなくなったといわれています。
40代前半だったといわれています。