原爆ドームは1915年(大正4年)に『広島県物産陳列館』として建設された建物です。世界的に有名な建築家であるヤン・レツル氏の設計により作られた。原爆投下される前は中央に※バロック風ドームを設置しすっきりとした建物で、周りにはギリシャの神話に登場する神々をモチーフにした彫刻の噴水が2つ設置されていました。その後『広島県商品陳列所』、『広島県産業奨励館』と名前を変えていき、戦時中は官公庁などの事務所がありました。ドームがあった場所が爆心地にとても近かったために建物は原爆によって本館中央部のドームと壁の一部を残してひどく壊れました。8月6日には早くから仕事をしていた事務所もあって、ドーム内3階にあった旧内務省中国四国土木事務所では職員約30名が犠牲になりました。いくつかの建物の残骸があちこちにあるだけの廃墟となった広島で、原爆ドームは象徴的な存在でした。そのためにドームの保存に対して『忌まわしい思い出になる』という反対意見が出ましたが1966年(昭和41年)に広島市の話し合いで永久保存が決定し、今も補強工事を時々しています。原爆ドームは広島から全世界へ原爆の恐ろしさを伝えていく『平和の生き証人』なのです。
※曲線や装飾物の多い建物の事

参考文献
題名 ヒロシマの碑
編集 広島県教職員組合
発行 1996年5月15日

題名 図録広島平和記念資料館ヒロシマを世界に
編集 広島平和記念資料館
発行 1999年3月31日 第1刷
監修 葉佐井 博巳
宇吹暁
井手三千男

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