ネルーやガンジー、マザーテレサたちは、インドの歴史を形作っただけではなく、私達の文化をつくりだしてくれました。
ガンジー
ネルー
マザーテレサ

マザーテレサ
(Agnes Gonxha Bojaxhiu)

マザー・テレサは、1910年、スコピア(現マケドニア)のアルバニア商人の家庭に生まれました。1928年、アイルランドのロレッタ修道会に入会し、カトリックの修道女としてインド・ダージリンの修練院に送られました。
1946年、黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で”神の召命”を受け、修道会を出て貧しい人々の中に入ることを決意しました。スラム街にまず最初に「青空教室」を開設。1950年、インドに帰化。 12人のシスターと共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会”「神の愛の宣教者会」設立総長に就任して「マザー・テレサ」と呼ばれるようになりました。路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設「死を待つ人々の家」(Home for Sick and Dying Destitute)を開設しました。

1955年、孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設しました。さらに、1957年、ハンセン病の巡回診療を開始しました。1979年、ノーベル平和賞受賞。「わたしは受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けました。」と語ったマザー・テレサの言葉は、全世界の人々を感動させました。
1981年、この年と翌年に二年連続して来日し、各地で講演を行いました。1984年、三度目の来日。1997年、9月5日(日本時間9月6日午後6時)「もう息が出来ないわ」の言葉を残し永眠。9月13日インドで国葬が行われました。



格言集


"I SEE GOD IN EVERY HUMAN BEING. WHEN I WASH THE LEPER'S WOUND, I FEEL I AM NURSING THE LORD HIMSELF.
IS IT NOT A BEAUTIFUL EXPERIENCE?"

---Mother Teresa---



ラグーライ氏とのインタビュー,マザーテレサについて ( 東京にて 2001年5月26日)

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ジャワハラル・ネール
(1889-1964)

独立後のインドの初代首相(1947-64)でインドの外交政策を構築しました。
ジャワハラル・ネールは、1889年11月14日にカシミール地方の裕福な家庭に生まれました。16歳の時に渡英し、1905年英国屈指の学校であるハロー、ケンブリッジ大学で教育を受けました。
1912年にインドに帰国し、何年か法律の実務をした後、1919年ガンジー率いる国民会議派の国会議員になりました。まもなく、国民会議派の指導者になりましたが、1921年から1945年までの間にインドの独立運動のため英国警察により9回投獄されました。1948年にガンジーが死ぬまで協力者でした。しかし、インドから英国を追い出すのにガンジーの静かな抵抗を推し進めることはなく、1942年ガンジーに代わり国民会議派の議長になりました。4年後、英国がインドから撤退する準備を始めたころ、暫定政府を作り植民地からの独立の移行を行いました。
移行の過程で、インドがヒンズーとムスレムに分離するのを防ごうとしましたが、失敗しムスレム国家のパキスタンが独立しました。

1947年8月、英国の最終撤退とインドの建国により、ネールは初代首相に選出されました。首相として、インドの5ヵ年計画を遂行し、さまざまな政党が共存するような政策を行いました。1950年の国連の朝鮮決議を援助し、1956年の英国とフランスのスエズ介入に反対し、1959年中国に対して武力で国境を守ると宣言しました。さらに、中立外交と産業振興政策を柱に置きました。


格言集

"What else is wisdom? What of man's endeavour

Or God's high grace, so lovely and so great?

To stand from fear set free, to breathe and wait;

To hold a hand uplifted over Hate;

And shall not Loveliness be loved for ever?"

--- Jawaharlal Nehru---



http://www.itihaas.com/modern/nehru-writing.html

http://www.itihaas.com/modern/nehru-chrono.html

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ガンジー・マハトマ
1869年10月2日、非暴力主義の提唱者でインド建国の父と呼ばれる、マハトマ・ガンジーがポルバンダールに生まれました。
ガンジーは裕福な商人の家に生まれ、イギリスに留学して法律を学び、その後、南アフリカ共和国に赴いて、外国商社の訴訟問題にかかわる内に、人種差別の問題に直面。そこから、インドの独立運動に身を投じることになります。

何度も投獄されながらも、彼は一切の武力闘争を否定し、非暴力・不服従の姿勢を貫いて、断食闘争などを続けました。この考え方は現代の反戦運動などの市民運動のあり方のベースとなっています。
この静かな抵抗運動の広がりにイギリスもとうとう、第二次世界大戦終了後インドの独立を認めざるを得なくなります。ところが、今度は宗教的な対立から、この国はインドとパキスタン(現在のパキスタン及びバングラデシュ)の2つに分裂したまま独立することになってしまいました。
ガンジーはこれに対して、宗教の融和と寛容を訴え、両国の統一に力をそそぎますが、そのさなか、1948年1月30日、右翼の過激派の銃弾に倒れることになります。


Mahatma Gandhiについて
http://www.mahatma.org.in/
http://gandhi.virtualave.net/
http://www.itihaas.com/modern/gandhi-chrono.html
http://www.harappa.com.sounds.gandhi.html
http://www.engagedpage.com/gan1.html
http://www.engagedpage.com/gan2.html
http://www.cncw.com/india/gandhi.htm

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