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アジアと哲学 アジアにおける最も古い代表的思想家は中国の孔子でしょう。一般に哲学や思想は社会の混乱の中で誕生しやすいと言われていますが、孔子が生まれ、思想家として生きたのも春秋時代の戦乱と混乱に覆われた社会の中でした。孔子は西周初期の「仁」を持った天子が徳治主義を行って民衆を導くことが政治の理想としました。この孔子の主張を発端として中国には様々な思想が誕生・発展することとなります。孔子の思想を受け継いで「仁義」の道徳を説き、人間の本性は善であるとする「性善説」を唱えた孟子や、それに対抗して人間の本性は悪であるとする「性悪説」を唱え、「礼」を重視した秩序正しい国家を理想とした筍子、「無為自然」の境地に立って「小国寡民」を国家の理想とした道教の始祖老子、その老子の「道」の考えに基づき「絶対無差別」を説いた荘子、「礼」よりもなお厳しい「法」によって人々を統制すべきだとした商鞅、そして筍子に学び商鞅の法思想を大成させた韓非、また孔子の「仁」を偏愛とし、すべての人間に対する平等愛である「兼愛」を主張した墨子など、実に多くの思想家達が現れました。彼等「諸子百家」がアジアにおける最初にして最大の哲学者であるといえるでしょう。彼等の思想は中国内に留まらず日本や西域にも広がり、永く人々の思想に影響を与え続けました。孔子の唱えた儒教は唐の時代には科挙(官吏登用制度)の正式な官学として用いられたりもしました。 しかし、一時秦の時代には法治主義の徹底のため政治を批判した儒学者やそれに関係した書物が焼き払われるといった事件も起こり、元の時代にはモンゴル人至上主義の皇帝フビライ=ハンによって科挙が廃止されそれまでの中国思想が迫害されるなど、これらの思想が権力者に睨まれることもあったようです。この後宋の時代には宗学の祖である周敦頤の出現や朱子学の祖として知られる朱熹が「大義名分論」「性即理説」等を説いて北宋時代の学術思想を大成させたり、陸九淵が朱熹を批判して「心即理説」を唱えたりした他、明・清時代には考証学や公洋学が起こりました。 一般に中国での思想家は、権力者に愛されて政治に重用され考えを世間に広めることが出来るか、権力者に疎まれて迫害を受けるかのどちらかであることが多く、その思想は政治・経済・戦など多方面に渡って用いられました。 一方インドにおいては近代に至るまでそれほど有名な哲学者は現れていません。というのも、インドでは紀元前から中世のヨーロッパ同様宗教的情熱が非常に高く、様々な宗教が生まれ人々に大きな影響を与えてきたため、哲学の発達する余地がなかったのです。特にヒンドゥー教がインドの大部分の民衆に信仰されており、現在ではインドのヒンドゥー教徒数は7億7千万人近い数になっています。こうした宗教第一の世界では哲学は発達し難く、さらに18世紀以降はイギリスの植民地にされており、19世紀になって独立を回復するまでインドの民衆に哲学の広がる余裕はなかったのです。そんなインドにおける最大の哲学者といえばガンディーが挙げられるでしょう。ガンディーは政治社会的な革命理論を説かず、哲学的・宗教的な思想から独自の「非暴力・非服従運動」を展開し、民衆の熱狂的指示を受け、インドの独立に貢献しました。 |
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