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現代哲学
哲学といえば昔のものであると思っている人が結構いらっしゃるようなのですが、現在、世界には実にたくさんの哲学の学派があります。寧ろ現代のほうが、個人個人が自己流の哲学を持っているため、たくさんの学派があるのです。有名な哲学者も何人かいますが、多くはさほど人から脚光を浴びることがなくとも自分の哲学を貫き、深めていっているようです。現代哲学の学派を全て数え上げようとしても、きりがないことでしょう。
では、何故これほど多くの学派が現代には存在するのでしょうか。
恐らく、現代の哲学が宗教や国家の在り方から離れて、人間自身に焦点を合わせているからでしょう。確かに今でも宗教を大切にしている人々はたくさんいます。そこから起こる宗教戦争や民族間の対立も後を絶ちません。しかし現代の世界全体を見てみると、宗教や国家に縛られないグローバルでインターナショナルな世界になってきていると言えます。それに対して古代ギリシャやローマでは国家や宗教が生活の中心にあったため、主な感心事も信仰や国家に関することでした。しかし、国際化が進み国家に縛られることがなくなった今、現代人の一番の感心事は、自分自身がいかに生きるべきかということです。私は誰?私はどんな人間?私はこれからどのように生きていけば良いんだろう?……私達はいつも自分の存在を確かめたいと思っています。自分の存在が希薄なのは、とても不安なものです。また、現代は個性を主張し、自分らしく生きることが求められる時代です。そのため、現代哲学の中心も、存在の意味や自分らしさといったものが主題になっているとます。しかし、多様な考え方を持つ私達1人1人が、自分自身について考えるわけですから、結果としてまとまりがなくなり、たくさんの学派が生まれてしまうのも当然といえるでしょう。
勿論、現代哲学の全ての学派が人間をテーマにしているわけではありません。20世紀の文化人にとって、悲惨な戦争をもたらした近代文明の問い直しは大きなテーマでした。ですから近代の機械文明、産業社会は人間にとって何であるのか、人間は何を拠り所にして生きていけるのか、平和とは、人権とは、自由とは人間にとって何なのか、といったことなども現代人の関心を集めています。しかしあくまでも現代人の関心の中心は「自分」や「存在」といったものである、というのは間違いないと思います。国際化が進み国境を超えて人々がつながり始めた今、もはや人々の目は国内に留まってばかりはいられません。「国」というまとまりから離れた以上、人々の目は自分自身を見つめることになります。しかし、自分自身の存在というのは非常にあやふやで不確かな、自分にとっても掴みにくいものです。そこで人々は「自分は何者なのか」と自問し、他者に対しては「自分はここにいる」と訴えます。その問いや訴えを無視することなく、より深く掘り下げたものが「現代哲学」です。そしてこの問いや訴えは誰しも持っているものです。私達は皆自分なりの哲学を持っているのです。
最後にもう一度繰り返しますが、哲学は決して過去の産物ではありません。一見大きな学派は見られないようですが、それは哲学が衰えたのではありません。思想や学問を制限された時代や国家にこだわる時代が終わりを告げた現代社会においては、私達1人1人が自分なりの哲学にしたがって生きる「哲学者」である、ということなのです。私達がモノを考え真実を追究する「人間」という生物である限り、哲学の歴史が終わりを告げることはないのです。
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