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倫理的価値と人格主義 私たちは、他の人々とさまざまな関係を結びながら生活を営んでいる。したがって、私たちは、社会生活を確保するのに必要な行動の原理や基準を求め、それを守っていかなければならない。このように、人と人との関係において正しく生きるための行動の原理を「倫理的価値」といいます。この倫理的価値の内容については、哲学者や思想家によってさまざまな違いが見られます。 たとえば、ソクラテスは、無知を自覚してそれぞれの精神を優れたものにすることに、ベーコンは、偏見をなくして正しい知識を身につけて行動することに、またベンサムは、「最大多数の最大幸福」という原理に基づいて法律をつくり、それにしたがって社会生活を営むことに、倫理的価値を見出しています。 近代認識論の祖といわれるカントは、人間は様々な欲望を抑制して、理性の声である道徳律(誰にとっても普遍的な道徳上の法律)に従う能力を持っている点で他の動物と異なるとし、このような道徳律に自主的に従う人間を人格と呼びました。つまり、カントによれば、倫理的価値とは人間がその人格を完成させ、また、そのような人格を持つ人間を相互に尊重しながら生きるということなのです。この点についてカントは、人間はすべて人格を持つが故に尊重されるとし、人格こそ究極の目的であり、したがって人格を道具のように単なる手段として扱ってはならないとしています。このような倫理的立場を人格主義といいます。 このカントの哲学を受け継いだヘーゲルは、社会における行動原理としての倫理、すなわち人倫が、家族・市民社会・国家の三段階を経て発展する経過について、次のように説明しています。 “まず、人間ははじめ愛情によって結ばれた家族の中で成長し、やがて個人の利益を追求する「欲望の体系」としての市民社会で生活する。しかし、この市民社会においては人々の間に対立が生まれるので、家族のような調和と安定は崩れる。そこで人間は、この対立・抗争を克服するために国家をつくり、個人の利益と全体の利益が保証されたこの国家において初めて現実に自由を獲得できる。” ここでヘーゲルが描いていたのはギリシアのポリスのような理想国家だったのですが、当時ヘーゲルのいたドイツはいくつもの小国に分かれていたため、ヘーゲルはまず人権や自由の尊重よりも国家の統一が必要だとしました。そのため彼の国家観は国家主義や全体主義の思想的基盤となってしまいました。しかし、ヘーゲルの人倫の思想は、倫理的価値が社会のあり方と密接に結びついていることや私たち一人一人が、自由な社会を形成するために、人格を完成する努力を続ける必要があることについて説いているという点で重要です。 一方、このヘーゲルの人倫思想を経済学と結びつけ社会主義を提唱したマルクスに反発し、人間個人の主体性を強調する思想が現れてきました。これがサルトルを代表とする実存主義です。この思想の背景には画一的・合理的な官僚システムが人間個人をその全体の機構のための道具のように取り扱うという現実がありました。人間はもともと不安・孤独・絶望という状況におかれていて、そうした状況から目をそらしてはならない、と実存主義は訴えています。 上記のこれらを見ればわかるように、人間がよりよい社会生活を営むための行動原理としての倫理的価値は、哲学者や思想化によってそれぞれ大きく異なっています。その内容も社会に対する働きもさまざまです。ですが、人間が人間らしく生きていくための倫理的価値は本来すべての人間にとって共通のものでなければなりません。この意味で、私たちは、人間にとっての最善の倫理的価値とは何かという問題について、絶えず考えていく必要があるでしょう。 |
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