WFPの援助食糧(WFP)
1747年、イランから独立して王朝を創設。第一次(1838〜1842)・第二次(1878〜1880)アフガン戦争を経、1880年にイギリスの保護領となる。1919年の第三次アフガン戦争で独立後、1978年に共和制に移行。しかし、1979年12月より旧ソ連の軍事介入にてクーデターが発生し、政権が倒れる。

その後旧ソ連・政府軍とイスラム教反政府ゲリラによって何年間もの紛争が始まる。またこのゲリラの拠点となっていたパキスタンとは国境で軍事衝突が相次いだ。1988年にパキスタンと和平に合意した後、5月には旧ソ連軍が撤退を開始した。完全に撤退をしたのは1989年2月のこと。

1992年4月にゲリラが大攻撃を仕掛け14年続いた社会主義政権が崩壊した。同月、暫定評議会を設置し、ラバニ指導評議会議長が大統領に就任。しかし大統領派と反大統領派の戦闘が全土に拡大。

1994年夏からタリバーン(パシュトゥン人のイスラム学生が設立)が急速に勢力を拡大し、ほぼ全国土を制圧するようになった。米国同時多発テロ以前はパキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国がタリバン政権を認めていたが、世界の多くの国は認めていなかった。1999年10月に国連安全保障理事会でタリバン政権への経済制裁決議を採択した。

<<アフガニスタン侵攻について>>
旧ソ連軍による1979年からのアフガニスタンへの侵攻。全国にイスラム勢力が決起し、ソ連軍は以後9年間、死者1万5千人を出す泥沼戦争に突入。ペレストロイカ後に撤退。

<<さまざまな宗教と民族>>
アフガニスタンには現在、イスラム教、仏教、ゾロアスター教、マニ教、ネストリウス教などさまざまな宗教が存在する。タリバン政権はイスラム法に基づく厳しい教えのもとで政権を運営していた。また仏教といえば、2000年にタリバンがバーミアン(桃源郷)にある世界的に有名な仏教遺跡を破壊したことで知られている。




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