■第三次稿と第四次稿の違いについて
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新版に加えられた三つの章
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二通りの結末(旧版)
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ブルカニロ博士
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ジョバンニの力強さの変化
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ほんとうの幸を求めること
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二通りの結末(新版)
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旧版と新版の相違
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賢治の理想と現実のズレ
『銀河鉄道の夜』の第三次稿の初期形(以後旧版とする)と第四次稿の最終形(以後新版とする)でのプロット上の違いは、大きく二つある。
一つは、旧版が四章「ケンタウル祭の夜」から始まるのに対し、新版には一章、二章、三章の三つの章が加えられていること。もう一つは、九章「ジョバンニの切符」の終末部分が大きく変り、結末が異なっていること。つまり、「物語の始まり」と「物語の終わり」に二通りある。
■ 新版に加えられた三つの章
新版に加えられた三つの章は、それぞれ以下のことについて書かれている。
一章:学校の授業でされる銀河の説明、学校におけるジョバンニ
二章:ジョバンニの仕事
三章:ジョバンニの家庭での状況、家におけるジョバンニ
さらに旧版でのジョバンニが銀河鉄道に乗る前(夢に入る前)の四章、五章、六章には、新版から削除された箇所が多々ある。
旧版が四章から始まったということを考えると、四章〜九章が『銀河鉄道の夜』の本章の部分であると考えられる。つまり、一章〜三章は、物語の導入、序章という形で加えられたのであろう。
旧版の四章〜六章の部分で新版から削除された箇所は、ジョバンニの独白の部分が多くみられる。このことから、序章を加えたのは以下の意味があったと考えられる。
まず第一に、新たな章を加えることにより、時間の流れが加わる。午后の学校、放課後の仕事、夕方に帰宅し、牛乳を取りに行く。そして夜には、銀河鉄道での旅が始まる。このように、旧版では夜だけのでき事だった物語が、昼間から夜にかけての物語となる。
また、授業で銀河の説明が、旅の導入であり、美しい銀河の世界へ旅立つ伏線になっている。天の川、銀河はジョバンニとカムパネルラにとって思い入れのあるものであることが一章で分かる。
最後に、ジョバンニの身の上についての場面が描写される。一章では学校でのジョバンニの様子が述べられており(仕事が大変で疲れていたり、自身なさそうにしていて、ザネリ達からからかわれていること)、二章ではジョバンニの仕事姿が描写される(どの様な仕事であり、その仕事が彼にとって大変なものかということ)。そして三章では家族について書かれている(姉の存在、病気の母親、漁から帰ってこない父とその父が監獄に入れられたという噂)。ジョバンニ自身が自分の身の上を説明していた旧版よりも、ジョバンニの様子を描くことでダイレクトにジョバンニの人物象を読者に伝わえることができる。
一章〜三章を加えれば、四章〜六章でジョバンニの独白等で説明していたことが全てその前の章で説明されるので、削除されたのだと考えられる。
■二通りの結末(旧版)
九章の終わり部分を変えたことにより、『銀河鉄道の夜』には二通りの結末が存在することとなった。具体的には、カムパネルラが消えてしまったところからが変更され、ジョバンニの「夢の醒め方」(旅の終わり方)が二通りあるのだ。旧版では、ブルカニロ博士(「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」)が登場し、彼の存在が銀河の旅、そして旧版の結末に大きく関わる。
◇ブルカニロ博士
カムパネルラが消えてしまって泣いているジョバンニに対して、ブルカニロ博士は「おまへのともだちがどこかへ行ったのだらう。あのひとはね、ほんたうにこんや遠くへ行ったのだ。」と言う。さらに、「あらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこに行くがいゝ、そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ。」とも言う。ジョバンニは「カムパネルラ、僕たち一緒に行かうねえ。」と言っていたが、カムパネルラは死んでしまい、天上へ行ってしまう。そしてジョバンニは天上へは行かず、地上へ帰る。旧版の結末はこのようになっている。
ここでブルカニロ博士が旅の終わりだけでなく、それ以前にも登場していたことを説明したい。旧版の六章「銀河ステーション」を振り返ると、ジョバンニは銀河鉄道に乗る前に、「セロのやうなごうごうした声がきこえて」来た。ジョバンニはそのセロの声と会話をし、(会話文が( )で括られているので、直接的な会話では無いが)その直後に、銀河鉄道に乗り込む。このことから、旧版では、このセロの声がジョバンニを銀河鉄道の旅へ、夢の中へ誘ったのではないかと考えられる。
そして九章「ジョバンニの切符」で、カムパネルラが消えた後に現れた「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」も、「あのやさしいセロのやうな声」をしていた。つまり、セロの声をした人物、「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人」とは、ブルカニロ博士のことだと分かる。
ブルカニロ博士は、ジョバンニに銀河鉄道の旅に誘っただけでなく、銀河鉄道の夢から目醒めさせた人物でもある。
◇ジョバンニの力強さの変化
カムパネルラとの銀河鉄道の旅を始める前のジョバンニは、ザネリ達にからかわれ、皆から好かれているカムパネルラに憧れている気弱な少年だった。しかしカムパネルラとの旅を経たジョバンニは、旅を始める前よりも力強さを感じる。
その力強さの例として、ジョバンニは「さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。」と言って「ほんとうの幸」を探す誓いを立てる。カムパネルラに憧れていて気弱だった少年は、「カムパネルラのために」「ほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ」と言っているところに、力強さが感じられる。また、ブルカニロ博士の「切符をしっかり持って」「本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いて行かなければいけない」「たった一つのほんたうのその切符を決しておまへはなくしてはいけない」という言葉を受け、自分の進むべき道を進む覚悟をしている。ジョバンニの進むべき道とは、「ほんとうの幸」(ブルカニロ博士の言う「あらゆるひとのいちばんの幸福」)を探すことであろう。
この様に、今までの気弱な彼とは変わるのである。
もちろんそれはブルカニロ博士との会話だけによるものではない。
いつも一緒に居られないカムパネルラと旅をしたことに対する喜びや道中に出会った人々による経験を経て、ジョバンニは変わったのである。
ジョバンニのその後を旧版では、「ほんとうの幸」を求める、と明確に示している。
◇ほんとうの幸を求めること
「銀河鉄道の夜とは」のページで説明したが、『銀河鉄道の夜』は賢治が妹のとしの死後に書かれ、「自分だけの想念の力で新しい死後世界を描き出そうとした」(※)物語である。そしてカムパネルラは死んだとしを、ジョバンニは生きている賢治のことを指す。(cf.ジョバンニとカムパネルラのモデル)
つまり「ほんとうの幸」を求めるという目的は、賢治自信が見出した、生きる者の道であるのではないだろうか。としは「天上」へ行ってしまったので、賢治は「地上」に残り、「ほんとうの幸」を求めることになる。
■二通りの結末(新版)
しかし新版では、ブルカニロ博士の部分は全て削られてしまっている。それは九章の終わりだけでなく、六章でのやりとりも削られているので、セロの声は完全に除去されたことになる。 ブルカニロ博士の登場を削除したことによる変化は、細かいところにも影響する。
◇旧版と新版の相違
旧版では、ジョバンニの父親は密猟者であり、監獄に入れられていると言われていてジョバンニもその事実を受け止めている。しかし新版の結末では、ジョバンニの父親は帰って来ることになったので、父親の設定が変えられた。ジョバンニの父親は北の漁に出ているが、それが密漁であるかどうかは噂である。監獄に入れられたという噂も、ジョバンニは信じていない。さらに旧版では、夢から醒めた後にジョバンニのポケットの中には金貨が二枚博士から入れられている。ブルカニロ博士が削除されると、ジョバンニは博士から金貨を貰うことができない。そのため、ジョバンニは仕事の給料として銀貨を貰っている。そして牛乳も売り切れてはおらず、後ほど渡すという形になっている。
新版では、ジョバンニは「銀河ステーション」と言う不思議な声で夢へ入り、一人で夢から醒める。目醒めたジョバンニはまず牛乳屋へ行って母親の牛乳を貰いに行き、その後川でカムパネルラがどうなったかを知らされる。この時、カムパネルラの父親はジョバンニにジョバンニの父親が帰って来るということを伝える、という結末になっている。
何故賢治は、旧版と新版の結末を完全に変えてしまったのだろうか。
◇賢治の理想と現実のズレ
賢治は32歳の時に急性肺炎にかかり、これは賢治にとってとしの死と同じくらい大きな転機であったのではないかと思われる。賢治は病気を経て、少しずつ自分の死期が見え始めたのである。そして、自分の描いた死後世界と、自分の置かれた立場とのズレを感じたことと思われる。
新版で変えられた結末には、「ほんとうの幸」の教えを説いたり地上に戻ったジョバンニがするべきことを伝えるブルカニロ博士はいない。そしてカムパネルラがいなくなった直後、ジョバンニは夢から醒める。その時彼が最初に思い出したのは母親のことで、すぐに牛乳屋へ行って届けられなかった牛乳を貰いに行く。目が醒めた途端、ついさっき貰えなかった牛乳を取りに行っているところは、旧版の雰囲気とだいぶ異なる。旧版で旅の前後でのジョバンニに変化が見られたのに対し、新版ではまるで銀河鉄道の旅は彼が黒い丘でうたた寝した時に見た夢の様である。
つまり新版では、旅を終えたジョバンニに旅の直後の変化の様子は旧版ほどはっきりと見られないのである。旧版での「ほんとうの幸」のヒントやジョバンニに地上に戻ってやるべきこと(「ほんとうの幸」を求めること)を提示してくれたブルカニロ博士の存在から一変し、新版ではジョバンニにカムパネルラの死という事実だけが知らされ、銀河鉄道の旅がジョバンニにどう影響したのかは全く書かれていない。
それこそ、賢治の感じた理想の死後世界と現実の病状とのズレによって生じた結末の違いであると感じる。彼が旧版で説いた「ほんとうの幸」という理想は、病気の彼には探し求めることができなかった。それを全て削除し、彼は「ほんとうの幸」や、ジョバンニが銀河鉄道の旅を体験して得たものを明確に記さなかった。それは賢治自身にも不完全なものになってしまったからである。結局「ほんとうの幸」にははっきりとした定義や輪郭を本文に書き記さない結末を選んだ。
また、賢治の病気は酷くなり、35歳の時には実家へ帰り両親の看護の元で生活していた。病気の彼にとって、亡くなったとしよりも両親の方が闘病の彼にとって大きな支えになったのだろう。それが新版で影響し、ジョバンニはまず母親のことを思い出し、父親が帰って来るというハッピーエンドにしたのだろう。
新版では明確に書き表さなかった「ほんとうの幸」について、銀河鉄道の旅がジョバンニの今後の人生への影響は、
読者自身に対する問いや考えて欲しいものであるのかもしれない。
参考/引用文献
※ 畑山博(著) p.50
「二章 「銀河鉄道の夜」もうひとつの読み方」『銀河鉄道 魂への旅』 1996年9月5日 PHP研究所
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