■ジョバンニの嫉妬について
項目(クリックするとその考察を見ることができます)
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賢治の心の葛藤
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かおる子への嫉妬
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嫉妬心の正体
■賢治の心の葛藤
鳥捕りに会った後に、ほんとうの幸を意識し始めるジョバンニだが、九章で会うかおる子に対しては嫉妬心を抱く。なぜジョバンニは、その時既にほんとうの幸という崇高な目的意識を持ち始めていたにもかかわらず、九章ではかおる子個人に嫉妬を抱くように描かれたのか。私は、それは賢治が自分自身の心の葛藤を物語に表現したためだと考える。賢治には愛してやまない妹としがいた。銀河鉄道の夜は、としが亡くなった後、としへの鎮魂歌として書かれた作品であり、ジョバンニは賢治自身をモデルとして描かれ、カムパネルラはとしをモデルとして描かれたという有力な説がある。(cf・
ジョバンニとカムパネルラのモデル)賢治は、銀河鉄道の夜を執筆中ほんとうの幸という理想を持っていたが、とし個人への特別な思いを消す事が出来なかった。ほんとうの幸を求めるということは、みんなが幸せになるという事である。(cf・
ほんとうの幸について)しかし、同時に賢治は一人の人間を求めてしまう。その矛盾と賢治の葛藤がそのまま物語に表現され、ジョバンニの嫉妬となって書かれているのではないか。
まずはジョバンニがかおる子に嫉妬を抱く部分を抜き出して検証してもらいたい。
■かおる子への嫉妬
第九章(中)より
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に云いました。
「ええ、三十疋ぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。
ジョバンニは俄かに何とも云えずかなしい気がして思わず
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。
-略-
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞えました。それといっしょにまた幾万という鳥の群がそらをまっすぐにかけたのです。二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい頬をかがやかせながらそらを仰ぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」
女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻りました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込めて地図を見ていました。
「あの人鳥へ教えてるんでしょうか。」女の子がそっとカムパネルラにたずねました。
「わたり鳥へ信号してるんです。きっとどこからかのろしがあがるためでしょう。」カムパネルラが少しおぼつかなそうに答えました。そして車の中はしぃんとなりました。
ジョバンニはもう頭を引っ込めたかったのですけれども明るいとこへ顔を出すのがつらかったのでだまってこらえてそのまま立って口笛を吹いていました。
(どうして僕はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱って痛いあたまを両手で押えるようにしてそっちの方を見ました。(ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに談しているし僕はほんとうにつらいなあ。)ジョバンニの眼はまた泪でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした。
-略-
カムパネルラが「あれとうもろこしだねえ」とジョバンニに云いましたけれども
ジョバンニはどうしても気持がなおりませんでしたからただぶっきり棒に野原を見たまま「そうだろう。」と答えました。
-略-
(こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、僕といっしょに汽車に乗っていながらまるであんな女の子とばかり談しているんだもの。僕はほんとうにつらい。)ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして向うの窓のそとを見つめていました。すきとおった硝子のような笛が鳴って汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛を吹きました。
このように、ジョバンニがかおる子に対して嫉妬心を抱く描写は九章(中)の中に沢山書かれている。その嫉妬心の正体は、ジョバンニのカムパネルラを独占したいという気持ちである。ジョバンニは、そこにいるみんなとの和解ではなく、カムパネルラに限っての二人だけの世界を望んでおり、これは「自分」の中に「みんな」があるという賢治の考え方に反するものである。
(※参考・宮沢賢治著『青空挽歌』より、「みんなむかしからのきやうだいなのだから/けっしてひとりばかりをいのってはいけない」)
■嫉妬心の正体
しかし賢治もジョバンニと同じく、一人の人間を求めてしまい賢治はそんな自分自身を蔑んでいる。
(※参考・宮沢賢治著『オホーツク挽歌』より、「海がこんなに青いのに/わたくしがまだとし子のことをかんがへてゐると/何故おまへはそんなにひとりばかりの妹を/悼んでいるかと遠いひとびとの表情が言ひ/またわたくしのなかでいふ/(Casual
observer! Superficial traveler!)」)
賢治は、「ひとりをいのってはいけない」という事を知っていながらも、「ひとりばかりの妹」を思うことを止められていないのである。
(Casual observer! Superficial traveler!)は、としのことばかりを考えている事に対する賢治の自嘲であり、みんなを考えなければいけないと頭ではわかっているのに、どうしてもその通りに行動できないという賢治の葛藤が見られる。そして、この賢治の葛藤は、ほんとうの幸を追及したいと思いながらもカムパネルラを求めるジョバンニの姿と重なる。
これらの事から、ジョバンニの嫉妬は、賢治が自分自身の姿をジョバンニに投影したために生まれたものなのではないかと思われる。これを意識して物語を読むと、ジョバンニのカムパネルラに対する思いからは、理想を追求しながらも人間らしい感情を捨てきれない賢治の生々しい苦悩を感じることができるだろう。
参考:佐藤紘子著 論文 『銀河鉄道の研究』〜最終形における「ほんとうのさいはひ」とは何か〜
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