高等学校入学 盛岡高等農林学校第二部農芸化学科目に首席で入学。 特待生となったので授業料は免除になり、卒業まで級長を続ける。 岩石や土に関してはとても熱心で、土日の休日には鉱物の採集を行う。 また、関豊太郎教授の下で様々な地方の地質を調べたりする。
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妙法蓮華経への信仰篤く
妙法蓮華経の経典を読む。 これを座右とし常に読誦する様になる程信仰を篤くさせる。
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『アザリア』創刊
1917.3→『校友会報』にて短歌「雲ひくき峠等」を発表。 1917.7→小菅健吉、保阪嘉内らと同人誌『アザリア』創刊。 短歌「みふゆのひのき」、短編『旅人のはなし』等を発表。 1918.2→『アザリア』に断想「復活の前」を発表(保阪嘉内退学処分となる)。 1918.6→肋膜炎のため1ヶ月休養し、その時に童話を書き始める。 『アザリア』に短編「峯や谷は」を発表。 1918.8→童話「蜘蛛となめくじと狸」、「双子の星」を書く。
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高等学校卒業 二十三歳の時に卒業。 この頃から賢治の精進ははじめられる。
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