教諭時代の創作活動 1922.1→心象スケッチ「屈折率」、「くらかけの雪」等、 詩集「春と修羅」にて収録される詩篇を書き始める。 1922.5→「小岩井農場」を書く。 1922.8→「イギリス海岸」を書く。 1922.9→農学校の生徒と「飢餓陣営」を上演。 1923.4~5→『岩手毎日新聞』にて作品掲載。 詩「心象スケッチ外輸山」、童話「やまなし」、 「氷河鼠の毛皮」、「シグナルとシグナレス」を発表。 1923→国柱会機関紙『天業民報』にて詩「青い槍の葉」等を発表。 推定だが、この年に「土神と狐」を書く。 1924.2→教え子に童話「風野又三郎」の筆者を頼む。詩「空と傷痍」を書く。 1924.4→心象スケッチ『春と修羅』を自費出版。辻潤氏がこれを賞賛する。 1924.8→農学校生徒と「飢餓陣営」、「植物医師」、「ポランの広場」、 「種山ヶ原の夜」を一般公開用に上演。 1924.12→イーハトーヴ童話『注文の多い料理店』を刊行。 「銀河鉄道の夜」初稿成立。 1925.2→森佐一氏と交わり、森編集「貌」に詩を発表。 1925.7→草野心平氏と交わり、草野編集「銅羅」に詩を発表。 19.25.8→森佐一氏らと花城小学校で開かれた詩の展覧会に作品を出品。 1925.12→「冬(幻聴)」、「法華堂建立勧進文」を発表。 1926.1~3→尾形亀之助編集『月曜』に「オツベルと象」、 「ざしき童子のはなし」、「寓話猫の事務所」を発表。
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