下根子桜での生活
開墾、音楽の練習、レコードコンサートを始める。 また町内や近郊に肥料設計事務所を設け、 肥料相談や設計を始める。 土曜等の休日には近所の子供達に童話を読み聞かせてた。 さらに羅須地人協会を設立、定期的に集会を行う。 そこで稲作、園芸、肥料、科学、農民芸術概論等の講義に当たる。 年の末には上京し、オルガンやチェロの練習、 エスペラント語を学習する。その後帰郷。
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下根子での創作活動
1927.1→『無名作家』4号に詩「陸中国挿秧之図」を発表。 1927.2.1→『銅饠』に「冬と銀河ステーション」を発表。 1927.9→『銅饠』に「イーハトーヴの氷霧」を発表。 1927.12→盛岡中学『校友会雑誌』に詩を発表。 また、この頃までに肥料設計図を二千枚も書いた。 1928.2→『銅饠』にて「氷質のジョウ談」を発表。 1928.3→『聖燈』にて「稲作挿話」を発表(未定稿)。 稗貫郡石鳥谷で肥料の相談に応じる。 1928.6→伊豆大島旅行に伴い「三原三部」を書く。 日照りで稲作の指導に忙しくなる。 |