残念ながら、失業者対策のために青函トンネルを造ったのではありません。この時代は今のような不景気ではなく、バブル経済と言われるほど、戦後最大の好景気の時代です。つまり、この好景気のおかげでこのような大規模な工事ができたわけです。では青函トンネルを造るきっかけになったのはなんでしょうか?それは、1944年(昭和29年)の9月26日に起きた、大型の台風による青函連絡船「洞爺丸」の事故です。津軽海峡は海流の流れが速く、水深も深いため、船で渡ることが難しい海峡です。そのため以前からトンネルを掘るという構想はありましたが、その構想に後押しをしたのが、「洞爺丸の事故」というわけです。この事故は、船の安全性という問題点を明確にし、「現在の船で渡るよりも安全な方法」という新たな方法の必要性を掲示したのです。
ではなぜ、安全性の高い輸送方法が、トンネルを掘ることだったのでしょうか。トンネルを造るのはいいけど、海底トンネルだって十分危険性が高いのではないか。他に、船の改良という方法もあったのではないか。そう思われる方もいるのではないでしょうか。
この時代、北海道と本州の間の物資の輸送は船が主流でした。たしかに、船は一度に大量の荷物を運ぶ事が出来ますが、相手は海という自然です。また、船で運ぶにはどうしても時間がかかります。天候次第では、出港できないということも多くありました。このため、物資の輸送効率は、決してよくありませんでした。そこで、船で運ぶより確実に、そしてなるべく速くたくさんの荷物を運ぶ事ができる方法が求められたわけです。それにもっとも理想である方法が、海底にトンネルを堀り、列車で運ぶということだったのです。
海底にあることから、天候に左右されずに確実に運ぶことができ、たくさんの荷物を速く運ぶ事が出来ます。また、自然による災害も船で渡るより少ないので、安全性の高い方法といえます。
この二つが、青函トンネルを造った理由です。
この理由では、「なぜこんなにお金(維持のための)がかかるものを造ったのか?」と思っている方の疑問を、きれいに解決はしてくれないかもしれません。ですが、現代の生活において、青函トンネルはなくてはならないものであると思います。現在、深刻な不景気の時代ではありますが、この青函トンネルが少しでも景気の回復に役立ってほしいと思います。
世界最長ってどのくらいの長さなんだろう?
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