曲 阜 の 孔 廟 、 孔 林 、 孔 府    

儒 教 の 創 始 者 孔 子 の   故 郷 で あ り 鎮 魂 の 地

山東省曲阜(きょくふ)は、春秋戦国時代、魯国の都であり、あの儒教の創始者、孔子の故郷である。
宮殿式建築の孔廟、貴族の邸宅である孔府、また、曲阜の都市部の2倍の広さを持つ墓地、孔林は、三孔と呼ばれ、名をはせている。市の人口のうち5割は孔子の一族である。

孔子の死の翌年、魯国が孔子を祀るために作られた孔廟。中国三大古建築のひとつであり、中国各地の孔子を祀る孔廟の中でも最大規模である。南北に1キロ、敷地面積はなんと22ヘクタール。内部は無数の殿字が建ち並び、五十四問坊がある。
その中心となる大成殿は、28本の柱に支えられ、優雅にもどの柱にも2匹の竜が宝珠を間においている彫刻がなされている。
孔廟は石碑が2000以上、書や絵画や彫刻の宝庫である。漢、魏などの石刻はとても貴重である。

孔府は、「衍聖公府」(えんせいこうふ)とも呼ばれる。孔子の息子をはじめとする孔子一族が移住していた私邸をかねた官署だ。
いまではすべてが残っているわけではなく、それは典型的な封建社会の荘園となっている。
まず見える役所、そして住居。中庭は二つある。役所には虎の皮を敷いた椅子や、軍令用の矢、裁判道具もある。
住居区は警戒が厳重であり、禁門というものがある。その金門を破って進入した人は、打ち殺されたという。

曲阜の北に張る孔子とその家族の墓地、孔林。孔林の「林」とは、「陵」と同じ発音で、「墓」を意味する。
「孔」の「林」だから孔林なのである。ちなみに、関羽の墓は関林である。
面積は200ヘクタール。古樹は2万本以上もある。
孔子が死んだときに祀られた祭壇跡の享殿の後ろにある孔子の墓。その墓の東には息子の墓、西側には孫の墓が残っている。
この並べ方は、「携子抱孫」(けいしほうそん)の配置といわれ、子をたずさえ孫を抱えるという意味だという。

1994年に登録された。

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