ヒ エ ラ ポ リ ス ・ パ ム ッ カ レ    

古 代 ロ ー マ 様 式 の 面 影


ヒエラポリスの街は、紀元前2世紀にぺルガモン王朝の王エウメネス二世によって築かれた。紀元前129年にローマ帝国に統合してからは、ローマ領の温泉地として発展。
ローマ人は、娯楽施設としての役割も兼ね備えた温泉(公衆浴場)を作り出した。浴場は、プール、競技場、庭園などの施設を兼ね備えている。それを皇帝がわざわざ訪れるときもあったという。
西暦17年と60年に相次いで大きな地震があり崩壊したが、すぐに再建。
しかし、12世紀にセルジュークトルコが侵入した際に破壊されてしまう。

ヒエラポリス内で一番の見所の円形劇場は、2世紀にハドリアヌス皇帝によって造られたもので、訳2万人を動員するという。
保存状態もいい。

ヒエラポリスの城門の外側には、ネクロポリス・・・死者の街(墓所)がある。
ここには、ヘレニズム、ローマ、ビザンチン時代の約1200の墓がいまだに残されている。


パムッカレとは「綿の城」と言う意味で、台地の上から流れている石灰を含んだ温泉が、流れ続けて白く結晶化した。パムッカレの全長4km、高さ200mにも及ぶ石灰棚だ。

1988年に登録された。

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