| ■ ■ ■ | ア ー グ ラ 城 | ■ ■ ■ |
帝 国 の 繁 栄 と 悲 劇 そ れ を 見 届 け た 壮 大 な 城 と は
| デリーの南に約200キロ、アクバル帝によって立てられた壮大なアーグラ城。 その建設が始まったのは1565年のことである。 当時、アーグラ城は要塞としての機能を重視しており、住居には向かなかった。 そのため、アクバル帝はここには住まず、完成を待つ前に新しく作り上げた城へと移ってしまった。 後に、シャー・ジャハーン帝が宮殿としての機能を加えようと改修、増築が行われる。 その後アウラングゼーブ帝によって城壁を二重にされたり濠が作られたりした。しかし、アウラングゼーブ帝の死後、要塞としても移住区としても発展を極め、無敵と恐れられたムガール帝国は急速に弱国し、マラータ王国に蹂躙される。 その後の「セポイの反乱」によって、城の周りの建造物群はほとんど大破してしまう。 ムガール帝国で大帝と呼ばれた3代目の皇帝ジャッラールッディーン・アクバルは、自分に服従しないものには残忍な命令を下し、そして服従するものには寛容な態度で接したという。 しかし、彼は子供には先立たれ、ほかの子供に生涯反逆され続けるという悲劇の父でもあった。 また、5代目の皇帝も息子によってアーグラ城に幽閉されたまま命を落としたという。 アーグラ城は、ムガール帝国の繁栄、そして王家の悲劇をその身に滲ませている。 1983年に登録された。 |