| ■ ■ ■ | ペ ル セ ポ リ ス | ■ ■ ■ |
数 々 の レ リ ー フ の 残 る 行 事 の た め の 今 は 無 き 宮 殿
| ペルセポリスは、ギリシャ語からきた呼び名で、古来イランではペルシャ語で伝説上の王様(ジャムシード王)の座る場所を意味するタフティ・ジャムシードと呼ばれている。シーラーズという町から東北に約60キロ行ったところにある。 ペルセポリスは、アケメネス朝(紀元前550年〜330年)ペルシアのダレイオス(ダリウス)1世によって造られ、アレクサンドロス大王によって破壊された世界史上の大いなる遺産である。今ではイランはイスラム教が多数を占めているが、昔は拝火教と呼ばれるマズダ教、ゾロアスター教というのが大半であり、その伝統行事の一つに、新年(春分の日)を祝うノールーズと言うものがある。もともと、ペルセポリスはノールーズを祝うためにダレイオス王によって作られたという。その後、徐々に増築されたが、東方遠征途上のマケドニアのアレクサンドロス大王によって、火を放たれ、その当時の王、ダリウス三世も、中央アジアのバクトリアで死亡し、アケメネス朝は滅びてしまうこととなる。 ペルセポリスは、高台に位置し、おおまかにいうと6区画より成り立っている。 クセルクセス門の区域、ダリウス1世の謁見の間、宮殿跡、百柱の間、宝物殿跡、そして磨崖の王墓区域だ。 クセルクセス門は、宮殿の入り口にあり、高さ10mもある。門柱には人面有翼獣身像と牡牛像の彫刻が左右に見られる。牡牛像のには、三ヶ国語(古代ペルシャ語、バビロニア語、エラム語)の楔形文字の碑文が刻まれ「天・地・人を創造したアフラマズダの神をたたえクセルクセスは諸国の王の中の王である」と書かれている。万国の門とも言われる。 ダレイオス一世の謁見の間は、アパダーナ宮殿とも言われる。これは諸国の施設の謁見、または祭りのために使われた謁見の間の跡で、天井の高さは20メートル、36本の柱で支えられていたという。今では数十本しか残っていない。 入り繰りにあるペルシャ人、メディア人が先導し、諸国の人々が貢物を持ってくる姿を描いたレリーフが残っている。 また、バビロニア人、フェニキア人のレリーフも残っている。また、牡牛と戦うライオンの像もある。 ダレイオス王の宮殿跡は、冬の神殿を意味するタチャラとも呼ばれ、王のプライベートなものであった。タチャラは入り口の扉は木製で、金で覆われている。多くのレリーフもある。 百柱の間は、宮殿の東に位置し、ペルセポリス最大の広間で一辺が約70メートル。高さ14mの100本の柱で支えられていた。 ここは家臣との話し合いの場、または王が貢物を受け取る場所だということらしい。 宝物殿跡もやはり東側、山の麓にある。いヘクタール以上あるその広さの中、アレクサンドロス王は、大量のラバとラクダでその宝物を略奪したという。 1979年に登録された。 |