琉 球 王 国 の グ ス ク 及 び 関 連 遺 跡 群    

琉 球 の 様 々 な   必 要 性 か ら 生 み 出 さ れ た   城 た ち

奄美諸島から宮古・八重山までを含む琉球文化圏に、300以上の「グスク」(城)と呼ばれるものがある。
それは様々で、立派な城郭を持つ大きなグスクや小さなグスク、あるいは全く城郭を持たない聖域的な要素だけのグスクもある。

グスクは硬い石灰岩の台地上に石垣を積んで城域を囲んだもので、日本では16世紀後半〜17世紀初めにかけて造られているが、琉球では13世紀末〜15世紀前半にかけて造られ、200年も早く作られていた。

硬い琉球石灰岩の地形や台風の多い気候条件、そういう地理的な原因から、必要性を見出して、住民が発展を助けたと考えられるが、おそらく中国の影響を受けて琉球のグスク群が発生していったと思われる。何年ものアジアとの交流の末、独自の文化を築いていった。また、12世紀始めからの中国の社会の変化は、琉球にもぐ巣子にとっても多大な影響を及ぼしたと考えられる。

10〜11世紀世紀に階級社会というものが先住民に生まれ始め、12世紀頃から集団ごとに石垣のない小さなグスクがいくつも造られた。13世紀末〜14世紀初め頃から有力者が石垣を持つグスクを造って互いに争いあい、力の強いものだけが城壁を切石積みで強固に整備し地位や土地を拡大させた。そして三つの勢力(三山)に絞られていき、14世紀中頃から三山の争いは激しくなり、大きなグスクが造られるようになる。15世紀後半から三山各王は中国との貿易を行うようになり、15世紀初めに中山が琉球統一を果たす頃には、相方積みの石垣やアーチ式門を持つグスクも、造られて行ったと考えられる。

2000年に登録された。

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