古 都 京 都 の 文 化 財    

京 都 市 、 宇 治 市 、 大 津 市 、 3 都 市 に お よ ぶ 都

794年、桓武天皇によって造られた平安京とその近郊である。
火災などによって、建物は主に17世紀より後のものである。
しかし、1000年以上の歴史を誇る建造物なども残っている。
鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、清水寺仁和寺西芳寺(苔寺)醍醐寺
高山寺宇治上神社天龍寺龍安寺教王護国寺(東寺)平等院西本願寺
延暦寺賀茂別雷神社(上賀茂神社)賀茂御祖神社(下鴨神社)二条城

金閣寺(鹿苑寺)
 1398年に建立されたが、1950年に焼失。しかし、1955年に再建された。
 足利義満が出家した後の自宅(山荘)。
 別名、北山殿といい、三階建である。全体の高さは、13,6m。
 一階は、平安後期の寝殿造り。
 二階は、鎌倉期の書院造り、観音像が安置されている。
 三階は、唐様の禅宗様仏堂風。  と、階ごとに造り方が違う。
 また、仏舎利(ぶっしゃり)が安置され、丘の上には茶室(夕佳亭)がある。
 応仁の乱の時、金閣寺だけ、戦災を免れたという。

銀閣寺(慈照寺)
 1489年に建立された。
 足利義政の山荘。別名は、東山殿といい、全体の高さは、11mある。
 銀閣という呼び名は、江戸時代に金閣寺と対比して付けられた。
 現存する中では、最も古い書院同仁斎がある。
 銀閣寺は元々観音殿として建てられたのだが、義満の金閣寺を意識して造られている。
 手前に富士山の形をした向月台があり、奥には銀沙灘(ぎんしゃだん) がある。

清水寺
 798年に建立された。金色の千手観音像を納めた本堂がある。
 「清水の舞台」として有名なこの本堂は、懸造り(かかりづくり)といわれ、
 並べた柱に貫を通して支えている。
 境内にある音羽の滝に現世利益の信仰が集まったため、京都一の名所となった。
 清水寺という名は、音羽の滝にちなんで観音寺から改めたものである。

仁和寺
 888年に建立された。
 皇族や公家が出家して住む寺院(門跡・もんぜき)の中で、最初の寺である。
 代々、皇族が住職を務めていた。しかし、応仁の乱で講堂が焼失してしまったため、
 1641年に再興された。 桜が美しいことで有名である。

苔寺(西芳寺)
 729〜749年に開かれた。
 庭一面が苔で覆われており、100種類以上ある。
 1339年、夢窓疎石を迎えて、禅宗寺院となって栄えていた。
 黄金池の周りには、阿弥陀三尊像を安置した西来堂などが配置されている。

醍醐寺
 874年に開かれた。
 京都でもっとも古い五重塔である。
 境内に植えられている桜は、豊臣秀吉が花見のために植えたことで有名。
 五重塔の初重にある両界曼荼羅は当時のものが今でも残っている。

高山寺
 1602年に開かれた。
 紅葉と「鳥獣人物戯画」が有名である。
 しかし、金堂や十三重塔もあったのだが、応仁の乱で焼失してしまった。
 石水院は建てられた当時から残る、唯一の建物である。

宇治上神社
 11世紀後半から12世紀前半にかけて建立された。
 平安時代には、宇治明神として平等院を鎮守する社だったという。
 拝殿と本殿があり、本殿は現存するなかでもっとも古い神社建築である。
 一間社流造という大きな覆屋(おおいや)であり、3棟を1棟にしている。

天龍寺
 1354年に創建された。
 後醍醐天皇を弔うために、足利尊氏が建立したものである。
 8回も焼けてしまったのだが、庭園だけは焼け残った。
 「登竜門」の故事を模した岩組で有名である。

龍安寺
 1850年に建立された。
 有名な石庭は500年前から変わっていない。
 石庭は25mしかないため、屋根が西から東に向かって低くなっている。
 遠近法を利用して、広く見せているのである。
 世界中で最も知られている日本庭園であり、大小15個の石が置かれている。
 見る位置によって数が異なって見える。
 親虎が子を連れて水を渡っている姿に見えるため、虎の子渡しとも呼ばれている。
 また、海上の島々を表わしたものとも言われている。
 カシオペア座を鏡写しにした配置になっているものもある。
 誰によって造られたか、いまだ、不明。

東寺(教王護国寺)
 796年に創建され、空海が命名した。
 1486年に大半を焼失してしまった。
 794年、平安京遷都に際、桓武天皇が都の入り口である、
 羅城門の東西に建立を命じた寺の一つ。
 西寺は、1233年に焼失。
 東寺は、戦乱や火災に遭いながらも不死鳥のように蘇ったといわれる。
  不動明王(国宝であり、日本でもっとも古い。)など21体の仏像が配されている。
 五重塔は、1644年に再建され、塔の高さはおよそ55m。
  現存する日本の塔の中で、もっとも高い塔である。
 金堂は、東寺の中で最初に建てられた建物である。
  一重の吹き抜けであり、室内の高さは12mである。薬師如来三尊像を祀っている。
 大師堂は、空海の住居跡であり、弘法大師が祀られている。
  別名、西院御影堂ともいい、寝殿造の建物である。
 講堂には、5大菩薩坐像の一つである、金剛業菩薩像が安置されている。
 南大門は、1895年、三十三間堂の西大門を移築したものである。

平等院
 1052年、阿弥陀堂が藤原頼通によって建立された。
 平等院の中心である阿弥陀堂は、阿字池に囲まれている。
 平等院や阿弥陀堂は、左右に約16mの翼廊が備わっていて、
 翼を広げたような、その姿から、鳳凰堂と呼ばれている。
 この堂の屋根には、金銅製の鳳凰が飾られている。
 10円硬貨の表に描かれていることで有名である。

西本願寺(本願寺)
 1591年に建立された。
 浄土真宗本願寺派本山である。
 親鸞が、念仏信仰、他力本願をとなえ、民衆への布教をはかったため、本願寺と呼ばれた。
 江戸時代初期に203畳の対面所が建立され、現存する中でもっとも大きな書院である。
 1602年、宗祖親鸞から数えて第11代の門主の後継者が分かれたために、
 区別して、東、西を冠するようになった。

延暦寺
 788年に建立された。
 最澄が修行のため、比叡山に建てたもの。天台宗総本山である。
 10世紀には、堂坊は50を超え、寺僧は3000人にもなったという。
 しかし、その政治力を恐れた織田信長に全山焼き討ちとなった。
 その後、豊臣秀吉、徳川家康の支援を受けて17世紀には元の姿を取り戻していった。

上賀茂神社(賀茂別雷(かもわけいかずち)神社)
 678年に造られ、1863年には、本殿も造られた。
 平安京を鎮護する第一の神である、賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)が祀られている。
 8世紀に賀茂御祖(かもみおや)神社が分社して、上賀茂神社と呼ばれるようになった。

下鴨神社(賀茂御祖(かもみおや)神社)
 1629年、本殿以外の社殿が建立された。
 東と西の本殿に、玉依媛命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)
 を奉っている。
 賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)と区別するため、 下鴨神社と呼ばれている。
 上下の賀茂社で行われる、古来より伝わる、賀茂祭(葵祭)が有名である。

二条城
 1603年に創建された。
 徳川家康が、上洛の際の居城として建立したものである。
 二の丸御殿大広間では、家康が将軍の宣下を受けていたという。
 1788年、本丸御殿は焼失したのだが、
 現在ある本丸は、明治に桂宮家の御殿を移築したものである。
 徳川最後の将軍15代将軍慶喜はここで将軍宣下を受け、
 翌年には大政奉還の意思を表明した。
 よって、徳川政権は二条城で始まり、二条城で終わったといわれている。
 東大手門は、創建当時から櫓門(やぐらもん)だったため、この城は、実戦向きではなかった。
 唐門は、正面と背面に唐破風を持つ創建当初のものである。

1994年に登録された。

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