古 都 奈 良 の 文 化 財    

復 元 さ れ た 奈 良 の 都

京都・平安京よりも前、710年、奈良・平城京に都が置かれた。
唐の都、長安にならった都市。およそ20万人が暮らしていたという。
古都奈良には、
東大寺、 東大寺・正倉院、 唐招提寺、 薬師寺、 興福寺、 元興寺、 
春日大社、 春日山原始林、 平城京跡 がある。

東大寺 は、聖武天皇が全国に作った、国分寺の頂点である。
 752年に大仏が開眼された。   大仏殿は、間口57m、奥行50m、棟高47mである。
 東大寺大仏殿は、世界一大きい木造建築物。
 大仏(盧舎那仏)の高さは、およそ15m、台座の高さは3m以上、重さは推定380tである。
 銅や錫、金、水銀という金属が使われている。
 また、260万人余の人が大仏造立に携ったといわれ、当時の国民の2人に1人が
 参加したという計算になる。  しかし、大仏殿は2度の大きな火災による被害を受けた。
 その修復のために、現在の大仏には、奈良、鎌倉、戦国、江戸という4時代の部分が
 重なっている。

正倉院 には、シルクロードを通ってきた西アジア、インドや中国の宝物が納められている。
 そのため、シルクロードの終点ともいわれている。
 興福寺五重の塔は、高さ50mあり、奈良のシンボルとなっている。
 建築法は、校倉造という三角形の材木を交互に積み上げて行く造り方である。
 床下は、直径60cmの太い丸柱40本で支えられ、2.7mもの高さがある。

唐招提寺は、759年に建立された。
 753年、唐の名僧、鑑真和上が来朝して、759年に律宗の根本道場として設けたものである。
 今では、鑑真和上が眠っている。
 鑑真が亡くなった後、鑑真のおともをしていた、如法(にょほう)が金堂、
 また、その弟子である豊安(ほうあん)が五重塔を建立した。
 金堂は、唯一残る奈良時代の天平建築という建築法の建物である。
 講堂は、唯一残る奈良時代の宮殿建築という建築法の建物である。
 中には本尊弥勒菩薩が安置されている。
 千手観音(本当は手が1000本あったのだが、今残っているのは953本である。)は、
 日本最古の千手観音であり、像高535.7mの日本最大の千手観音でもある。

薬師寺は、680年、天武天皇が、皇后、ウ 野讃良皇女(うののさららのひめみこ)
 (後の持統天皇である。)の病気の回復を願って建立した。
 完成したのは、698年である。
 東塔と本尊以外は、災害や兵火でなくなってしまったが、復元されている。
 東塔は、三重塔なのだが、屋根の下に裳階(モコシ)があり、六重塔に見える。
 金堂には、本尊の薬師如来坐像があり、両脇には、日光、月光菩薩が安置されている。
 光明皇后がモデルといわれている、吉祥天如画像は、麻布に描かれた日本最古の彩色画である。

興福寺は、710年、藤原鎌足の子、藤原不比等が創建した。
 興福寺は、藤原家の権力の象徴でもあり、周辺には170もの堂塔が立ち並んでいる。
 北円堂は、藤原不比等の一周忌の供養のために建立されたものである。1210年に再建された。
 東金堂は、聖武天皇によって建立された。1415年に再建された。
 五重塔の高さは、およそ50m。1426年に再建された。

元興寺は、596年に、明日香村に飛鳥寺が建立された。
 平城遷都を機に718年移建され、元興寺と名前が変えられた。
 蘇我馬子による、日本最古の本格的な仏教伽藍である。屋根には、日本最古の瓦もある。
 奈良時代後期に造られたと思われている、高さ5.5mの五重の小塔もある。

春日大社は、768年に創建された。
 参道や回廊には、2800あまりの、贈られものの、石灯籠や釣灯籠があるが、
 最も古いものは、1038年に、藤原頼道が贈ったものである。
 参道を抜けると、鮮やかな朱色の社殿が現れる。
 鹿島神宮(常陸国(いまの茨城県))から、白鹿の背に乗ってやって来た神がまつられている。
 また、春日大社にはたくさんの鹿が、大事に飼われている。

春日山原始林  平安時代、春日山一帯が春日大社の神域になり、狩猟や木を切ることが禁じられたため、
 春日山の自然は、人の手に荒らされずに、昔のままで保たれている。
 1924年、天然記念物となった。

1998年に登録された。

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