デ ィ ヴ リ ー の 大 モ ス ク と 病 院    

セ ル ジ ュ ー ク バ ロ ッ ク の 複 合 建 造 物

中部アナトリアの東に、ディヴリーという町がある。
モスクと病院は、そこの小高い丘の上にある石造りの建築である。保存状態は極めてよく、今はあまり活気付いていない村と言う感じだが、昔、セルジューク・トルコ朝の配下であった12世紀ごろには、全盛期を極め、とても重要な場所だったという。

セルジューク・トルコ朝は、1035年にトルコ系セルジューク族がガズニ朝からホラーサーンを奪回したことから始まる。
その後、セルジューク・トルコはイスファファンを占領し、その後アジアへと進出していった。
その後、ルーム・セルジューク朝となり、セルジューク朝は、エミールの反乱が起こる1277年まで、続いた。

城やモスクは1228年ごろ、藩主アハメット・シャーによって作られた。
東西32メートル、南北64メートルあり、その中の3分の2が集団礼拝用のウルジャーミと呼ばれるものである。
残りの3分の1は慈善目的の病院―――ダールッシッファーとなる。
ウルジャーミの中は16本の柱の立つ大広間となっていて、ダールッシッファーは吹き抜けになっているホール、そしてそれを囲むような小室郡からなりたっている。
内部には素晴らしい装飾が施されており、セルジューク・トルコ朝特有のバロックと称されている。

1985年に登録された。

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