| ヘッセ(スイス、文学賞)1946年 |
| ヘッセ紹介 |
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本名はヘルマン・ヘッセ。南ドイツのカルプという自然豊かな村の生まれました。父はロシアに移住したドイツ人の子孫で、母はインド生まれのスイス育ち。そして両親ともに牧師でした。 幼少から感受性豊かで、四歳ほどで詩を作っていたといわれています。その後神学校に入学するも、その寮生活になじめず、精神的に病み、脱走もしたと言われています。高校も次々変え、後に中退し、このころから詩人を志すようになりました。27歳のとき、バーゼルに移り、書店店員となり、その傍ら、詩を書きました。こうして徐々に作家の地位を確立していったのです。 第一次大戦のとき、世界市民的考えで戦争に反対したが、ドイツ知識人たちの反発を受けたました。それでも彼は平和主義を貫きました。家庭内の問題もあって、やがてヘッセは南スイスのルガーノというところで独りで住み絵を描き始めるようになりました。 第二次大戦前と間、ナチスの台頭の中、彼はドイツからの亡命者を救済しました。戦争後、ノーベル賞を受賞しますが、すでに、頭痛や神経症で動くのが困難な状態だったと言われています。85歳のとき白血病にかかり、後に脳溢血で亡くなります。 インドや東洋を旅することで、中国や日本にも興味関心をもった人で、その影響は、彼の「自然に対する新鮮な感覚あふれる」著作に見られます。 代表作「車輪の下」は秀才であるハンス少年が、神学校の試験に合格するも、その厳しい学校教育に反発し、ついに挫折。機械工となるも仕事になじめず、自滅していく姿を描いた少年のナイーブさがテーマの自伝的小説です。 |
| ヘッセの名言 |
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「愛は憎しみより高く、理解は怒りより高く、平和は戦争より気高い」 |