| ロマン・ロラン(文学賞) | |
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ロマン・ロランは、1866年フランス中部のクラムシーというところで公証人の子として生まれました。パリの高等師範学校で歴史学を専攻し、成績は優秀だったと言われています。ちなみに、彼が歴史学を選んだのはトルストイとの親交があったからといわれています。その間シェイクスピア、ワグナー、ベートーヴェンに熱中した彼は、2年間イタリア・ローマに留学し、その後文学博士の学位を得ました。その後音楽史を学び、演劇を志して多くの劇曲を書いたと言われています。これが後々彼の作品に影響を与えることとなるのです。 |
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伝記「ベートーベンの生涯」により大衆に彼の名前は知られるようになりました。そして、大河小説「ジャン・クリストフ」は一躍彼の名前を世界中に知れ渡させたのです。フランスアカデミーは文学大賞を彼に授け、1915年彼にノーベル賞が送られました。しかし、彼は、その賞金の全てを赤十字や社会時事業に寄付しています。その他にも彼が書いた大作「魅せられたる魂」も世界に大きな反響を呼びました。ちなみにかれは1912年まで教師も兼職していたそうです。 第一次大戦後かれはスイス・レマン湖畔に定住しました。そこで彼はさまざまな芸術作品や政治論文などを書いていたといわれています。レーニン(ソビエト人民委員会議議長)にロシア行きを要請されるほどの見識であったと言われています。そんな彼の許にはインドで非暴力・非服従を唱えたガンジーや別のページで紹介しているタゴールなど、世界中から有名な人物が彼を訪れました。 ロマン・ロランはあらゆる分野のことに精通し、社会、世界情勢に注意していました。彼は、国境や人種を超えたすべての民族・国民の擁護運動を行っています。事実かれは「反ファシズム国際委員会の名誉議長・総裁」に就任したこともあり、またヒトラー政府からの賞の授与を断った人物でもあります。「全人類の自由と平和・調和」が彼の理想であった彼は、第二次世界大戦終戦直前の1944年、祖国フランスでこの世を去りました。78歳でした。 |
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| ロマン・ロランの名言 | |
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「富は余計なものである。それは他人から盗むことである。」 「いつまでも続く不幸というものはない。じっと我慢するか、勇気を出して追い払うかのいずれかである。」
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